▼ボールとバーテン

 中学生時代、母親が営んでいた飲み屋で、口開けの客は毎日向かいのバーの若いバーテンだった頃がある。

 注文は決まって豆腐とナメコと糸ミツバの浮いた赤だしの味噌汁、そして茶碗一杯のご飯で、それが彼の夕食のすべてだった。仕事熱心と評判の若いバーテンが、黒いスーツに白いワイシャツを着てネクタイを締め、毎日つましい夕食をとる不釣り合いな光景を、カウンターの端に腰掛けて眺めていたものだった。




妙義神社にて



 母もその気だてのよい青年を可愛がっていたが、何年か経ったのち、バーテンをやめてバキュームカーに乗るようになり、シェーカーを汲み取りホースに持ち替えて働いているという意外な話しを聞いた。さらに何年か後、地元の資産家から是非娘の婿に迎えたいという話しがあり、自分は若気の至りでヤクザな世界に足を踏み入れたことがあると腕の入れ墨を見せ、とても娘さんの婿になれる男ではないと断ったという。そうしたら、汲み取りホースを握って懸命に働く姿を見て人柄に惚れたのだからそんなことはどうでもいい、と熱心に請われて婿入りし、子どももできて幸せに暮らしていると聞いた。何十年も前の話だ。



路上の野球ボール



 路地裏を歩いていたら白い軟式野球ボールが落ちていた。
 小学生時代、野球のボールは貴重品で、必ず拾って野球チームのバケツに入れ、みんなで大切にしたものだった。それでも拾う人のないボールが落ちていることがあり、拾い上げると黄色く変色していて
「わっ、バキュームカーのボールだ!」
と慌てて手を離したものだった。
 汲み取りを終えたバキュームカーのホースは、先端に軟式野球ボールをシュポッと吸い付けて蓋にしておかないと、引きずって撤収する際に吸い込んだものが逆流してしまうからだ。足で踏んでボールを外し、汲み取りホースを持って各家庭をまわり、終わってボールの蓋をする際に新しいボールが落ちていると、汲み取りのおじさんは新しいボールをシュポッと吸い付けて取り替え、かわりに古びた黄色いボールを道端に残していくのだった。
 道端に落ちている野球ボールを見たら、働き者だったバーテンの不思議な人生を思い出した。

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▼9月の力レンダ一

 8月も晦(つごもり)になったので文庫本手貼に手描きのカレンダーを描いた。曜日を間違えないよう、卓上力レンダ一をめくって確認しようとしたら、残りの枚数がわずかなのに気づき「今年ももう帰り道だな…」と思う。

 



電脳六義園通信所のために描いた「9」



 9月にはなぜか帰り道のイメージがこびりついていて感傷的になって困る。とくに去ってゆく人の後姿が映像として心に浮かんでしまうと声をあげて泣きたくなる。東京での暮らしに見切りをつけて、母が静岡県清水に帰って行ったのも2004年9月のことだった。



9月のカレンダー。
後ろはパリみやげに貰ったブラッサイの写真集。



 この無印良品「文庫本メモ帳」を使った手描きリフィルのシステム手帖では、前月のメモの終わりで改ページして奇数ページを扉とし、次の見開きに新たな月間カレンダーを描くので、前月のメモの終わりが確定しないと新しいカレンダーが描けない。来月の予定が入ったらとりあえず今月のメモに書いておいて、来月のカレンダーを描いたら忘れないうちに書き込むというシステムにしている。自分専用だから「仕様だ」と許容できるわけで、その柔軟さが心地よい。自分専用は自分に優しい。

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