▼浅嘉町の笹竹と注連縄

岩槻街道日光御成道、白山上から動坂方向へ向かう道はかなり古い道らしく
『明治四十年一月調査東京市本郷区全図』に不忍通りは影も形もないけれど
ちゃんとこの道は記載されており駒込浅嘉町と駒込林町の境界になっている。
動坂手前左側にエイズ治療で有名になった都立駒込病院があり
明治四十年の地図ではその場所が“避病院”と記載されているのを見て驚いた。
江戸時代からすでに感染病と縁がある場所だった。



その道沿いにある家の正月飾りは背の高い笹竹を立て、
根本に松をあしらい、高いところに注連縄(しめなわ)を渡してある。



最近はこういう正月飾りをしている家を見なくなったので
昔からの暮らしの習慣を守っておられる人がいることに感心し、
写真を撮りながら歩いたらこの道沿いにある酒屋も同じ飾り方をしていた。



さらに駒込病院向かいのとんかつ屋も同様の飾り付けをしており、
かつては動坂下を経て滝野川村方向に向かうこの古道沿いに
こういう飾り付けをした家々が建ち並ぶ正月があったのだろう。

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▼表象の王国

六義園内に張られた紅白のテントを
外国人観光客が夢中になって写真撮影しているので
自分が日本人でなくなったつもりでじっと見つめていると
確かに奇妙な造形物であることに感心する。



そして母国に帰って自分のブログに写真を載せ
「日本人は新年になるとうさぎ小屋を出てこういうテントで過ごします」
などと不思議な異国体験を語ったりするのかもしれない。

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▼北風と散歩

車いすを押して散歩しようと言ったら義父に振られたので
夕暮れ近くなって六義園内をひとり歩いてみた。



日がかげった園内を吹き渡る北風が凍えるほど冷たくて
午後四時を過ぎてからの散歩なんて我ながらどうかしてると思う。



冷蔵庫の中の方がよっぽど暖かいと思うほどの冷え込みで
水の中からこちらを見ている鯉がとても暖かそうに見える。

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▼吉祥寺の栴檀

義父母と一緒に車いすを押して出掛けた初詣。
駒込吉祥寺境内に栴檀(せんだん)の木があることに今年初めて気づいた。

駒澤大学の前身のひとつで、仏教の研究と漢学の振興とそれらの人材供給を目的とした学寮。
江戸時代には、「昌平坂学問所」(しょうへいざかがくもんじょ)と並ぶ漢学研究の中心で
あった。現在も駒込の諏訪山吉祥寺の山門には「旃檀林」の額が掲げられている。吉祥寺は
七堂伽藍を具える大学寮であったが、東京大空襲で「経蔵」を残して全て焼失した。本堂と
客殿と庫裏が再建され、往時の面影を伝えている。
(吉祥寺栴檀林の解説出: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)



郷里静岡県清水の実家近くにも何軒か栴檀のあるお宅があり、
美濃輪町の美濃輪稲荷境内にも確か栴檀の木があった。
清水の栴檀の木もこんなふうに冬空に実をつけているんだろうなと
昨年9月以来帰省していない故郷のことをちょっとだけ思い出した。

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▼「ぷつぷつ」と「ぶつぶつ」

じょうろを買いに行った帰りに交差点で信号待ちし、
じょうろの散水口を“ハスの実”と呼ぶことに感心したので
“ハスの実”に「ぷつぷつ」と空いた穴をじっと見る。

ふと見上げた交差点の電柱に巻かれた金属カバーには
「ぶつぶつ」とした突起がある。



どうして凹である穴は「ぷつぷつ」なのかと自分に問うと
尖ったものを刺して穴を穿つことに「ぷつぷつ」という
オノマトペアが結びついているかららしい。

では凸である出っ張りがどうして「ぶつぶつ」かというと
パンチパーマのような大仏の頭を連想し
「ぶつぶつ」は「仏仏」なのでオノマトペアではない。

ゆえに「ぷつぷつ」と「ぶつぶつ」は似て非なる物である……あ、信号が青になりました。

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