▼浅嘉町の笹竹と注連縄

岩槻街道日光御成道、白山上から動坂方向へ向かう道はかなり古い道らしく
『明治四十年一月調査東京市本郷区全図』に不忍通りは影も形もないけれど
ちゃんとこの道は記載されており駒込浅嘉町と駒込林町の境界になっている。
動坂手前左側にエイズ治療で有名になった都立駒込病院があり
明治四十年の地図ではその場所が“避病院”と記載されているのを見て驚いた。
江戸時代からすでに感染病と縁がある場所だった。



その道沿いにある家の正月飾りは背の高い笹竹を立て、
根本に松をあしらい、高いところに注連縄(しめなわ)を渡してある。



最近はこういう正月飾りをしている家を見なくなったので
昔からの暮らしの習慣を守っておられる人がいることに感心し、
写真を撮りながら歩いたらこの道沿いにある酒屋も同じ飾り方をしていた。



さらに駒込病院向かいのとんかつ屋も同様の飾り付けをしており、
かつては動坂下を経て滝野川村方向に向かうこの古道沿いに
こういう飾り付けをした家々が建ち並ぶ正月があったのだろう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
謹賀注連縄 (真丹後)
2009-01-04 01:20:44
清見寺地区では、ちょうどこんな位置に長い注連縄をつり、ぐるりと地区全戸にはり回していたように思います。世界一長い注連縄でギネス記録、というのは嘘ですが、どうやって調達してるのかが不思議、不思議。
 
 
 
しめ縄はつづくよどこまでも ()
2009-01-04 09:06:41
謹賀注連縄申し上げます

玄関先に極小輪くぐりさんを下げている清見寺地区もそうだったんですね。いつかまた正月を清水で過ごせるようになったら見に行ってみたいです。
車窓の旅は写真がとれないと記憶も曖昧なままなのですが、暮れに東海道本線で帰省しているとき、神奈川県湯河原あたりても線路沿いの家々を長い長い注連縄が取り囲んでいる景色を見たように思います。
清水では上町がそうだったと思い、過去の日記を検索したら照れくさい6年前の日記に写真を載せていました。

2003年 1月 1日 水曜日
【絆】
http://www.den6.net/back_number/20030101.html

本年もよろしくお願いいたします。
 
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