【ハトヤ豆店】

【ハトヤ豆店】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 3 月 5 日の日記再掲

人間のみならず、生き物はみんな凄い。そう思うことのひとつに身体的な欠損を補って生きていこうとする力があることだ。
 
幼いころ歯を抜かれると「(これは大変なことになった、今晩からご飯が食べられないんじゃないか)」と思ったりしたけれど、夕方になれば空腹感に負けて何とかご飯を食べ、翌朝になれば歯を抜かれたことを忘れていた。

記憶のみならず、歯茎や舌までが歯の欠損を次第に忘れようとでもしているかのように
「(なくしたものは仕方ない、あるもので工夫してやっていこう)」
と言っているような気がしたものだ。

そしてそういう身体の前向きな力を借りて半世紀以上生きてこられたのだと思うことも多いし、老いてなおも頑張って行こうという気力は、そういう自然な力の助けなしには考えられない。

身体的欠損を補おうとする身体の甲斐甲斐しさに対して、心の欠損を補おうとする心の働きは非常に心許ない。

「うーん、何かあんたに言おうと思ってたけど忘れちゃった。まあいいや、大切なことならまた思い出すでしょう」
などと母はよく言い、そのまま聞くことのなかった話の方が多い。自分もまた思い出せないことは頓着せずに放っておくことが多いし、そういう仕組みを利用してものを捨てたりもする。思い出せないものは忘れているんだから、あとで「(あれを捨てるんじゃなかったなぁ)」と思い出して悔やむこともないだろうという考え方である。

忘れるというありがたい心の力に助けられることもあるけれど、都合良くいい加減に利用しているずぼらな面も人間にはある。

静岡県清水真砂町。1971(昭和 46 )年頃。高校時代に撮影したネガをスキャンして拡大してみたらびっくりした。この『ハトヤ豆店』が存在したことを覚えていないからだ。

写真というのは大変な発明である。
写真を見て、これはあり得ない幻想を捏造したものだ、などと誰も思わないという条件の下で、まさに真を写したものだからである。

記憶にないのに「真を写した」と思わざるを得ない写真に遭遇し、それが自分で写したものだと事態は深刻である。

静岡県清水真砂町。
早朝の清水橋を徒歩で渡って撮影したりしたネガをスキャンしてみたら記憶にないものがたくさん写っていた。

清水橋下、『菓子の見城』さんの向かいに、「甘納豆・落花生」と大書した豆屋があったことを完全に忘れている。
「毎日マメデ暮しましょう」
というキャッチコピーも「まめったい」清水っ子らしくていいなあと思う。

甘納豆も落花生も大好きだったし、それより何より『ハトヤ豆店』という店の名前がすばらしく愛らしいのに、どうしてこの店のことを覚えていないのだろうと思うと、抜けてなくなった歯の場所を何十年もたって舌の先で探り当ててしまったように、気になって仕方がない。

静岡県清水真砂町。1971(昭和 46 )年頃。清水橋の下にはたくさんの人生があった。何とこの年にはまだ中華料理『らいみん』ではなく大衆食堂だったんだなあと感慨深い。食堂だった当時の店名が思い出せない。『吉野亭』だったような気もするけれど違うかも知れない。拡大しても文字が見えない。

電柱に「ヒデとロザンナ」と貼り紙があるのでヒデとロザンナがクラブ『ミンクス』に来たのかも知れない。

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