電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼『東風吹かば』思い起こす昭和14年制作『六義園平面図』
六義園内に昭和14年制作のパンフレットが掲示されていた。
第二次世界大戦前のものである。
東京ドーム脇にある小石川後楽園内に主だった江戸時代の建造物は
ほんの僅かしか残って居らず、
それは第二次世界大戦の空襲で焼失したからである。
昭和14年制作『六義園平面図』には、
「桃の茶屋」「瀧見の茶屋」「吟花亭」「熱海ノ茶屋」「つつじノ茶屋」「蘆邊ノ茶屋」など
「跡」がつかない建造物が記入されている。
六義園も空襲で焼かれたのである。
で、不思議だなあと思うのは、文京区本駒込2丁目にある
『東洋文庫』は貴重なアジア史研究の資料があるため、
米軍が爆撃対象から外したため消失を免れたと聞いたことがあるが、
空襲で焼かれた六義園と東洋文庫は
10,000分の1の地図で1センチメートル、
たった100メートルしか離れていないのである。
米軍はそういう針の穴を通すような爆撃をしたということだろうか。
郷里の愛すべき山、竜爪山山頂にある竜爪神社は銅板葺きの屋根であり、
軍事用レーダーと間違えた米軍機が爆撃したというのだから、
それくらいのことはEasy job(朝飯前)だったのかもしれない。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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昭和14年制作『六義園平面図』ですか‥‥興味津々。
小石川後楽園は確かに入口付近にあった涵徳亭の他には
建物らしいものはなかったような気がしますが、
六義園にはつつじ茶屋、吹上茶屋、滝見の茶屋
そして心泉亭に宣春亭とたくさんの建物がありますよね。
東京都の都立公園サイトの六義園を見ますと
『つつじ茶屋』について次のような解説がありました。
『明治年間、岩崎氏の代に、つつじの古木材を用いて建てられたこの四阿は、
幸いにも戦災を免れ、現代にその希少な姿を伝えています。 』
これが特記されているということは‥‥それ以外の建物は
すべて戦後に建て直されたのでしょうかね。
心泉亭に宣春亭、そして正門奧の立派な門などは
古そうな感じがしたのですが‥‥。
今年もしだれ桜を見に行こうと思っているのですが、
あの大混雑を避けて見る方法‥‥なんてないですよね。(笑)
イナバウアーブームなのだと新聞にありましたが
「イナバウアー」というと白ウサギを思い出してしまいます。
白ウサギも「うあ~っ!」と驚くような大混雑を避けて
しだれ桜開花時に見る方法は
脱兎の如く早起きして家を飛び出し
ずばり!開門10分前に到着することです。
いかに満開時でも開門前の行列は見たことがないです。