電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【ジブン対自分】
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関西では相手を指すあなたという言葉のかわりに自分という言葉を使うという。
ジブンという言葉は、関西弁では相手を指すことがある。
「ジブン、ニンジン嫌いやろ」
などと、相手を指していう。関東で育った若者は、ひょっとすると、なんのことやら、意味がわからないであろう。むろんこれは、
「アンタ、ニンジンは嫌いだろ」
という意味である。それならジブンは同時にアンタという意味である。
(養老孟司『無思想の発見』ちくま新書)
ネットで公開されている、新潟の放送局が制作した新潟弁講座を見ていたら
「ねえ、ジブン~」
などと相手に話しかけているのでびっくりし、新潟の友達に聞いたら、新潟でも相手を指してジブンを用いる地域があるらしい。
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5/30、静岡県清水、美濃輪町に今年も咲いたブーゲンビリア。
久しぶりに母親が夢に登場し、
「アンタ、清水の家どうした?」
と聞くので
「片付けが終わったので解体して、買いたいという隣のお宅に買ってもらったよ」
としゃれを言うように話したら、今から取り消せないかという。どうしてかと聞いたら
「長いことかかったけどガンもようやく良くなったので、そろそろリハビリをかねて畑でもやりたいと思って」
などという。
病気が癒え、本人にやる気が出てきたのが何よりなので
「お母さん、畑をやりたいならあんな家が建て込んだ場所じゃなくて、草薙、そうだな中之郷あたりの日当たりのよい場所で畑を貸してもらえないか聞いてあげるよ」
と言ったら、
「アンタなんにも知らないんだねぇ、あの辺は山が土砂を押し出した扇状地で水はけがよすぎて、夏に日照りが続いたりすると農業で生活してくのが大変なんだよ。園芸に活路を開いたからあの辺は植木屋が多いんで、あんなところで素人が野菜畑なんてやったら、アンタ夏場は大変だよ」
と苦笑いしながら言う。この人にはかなわないなぁと、昔と変わらない達者な口ぶりにこちらも苦笑いした。
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5/30、静岡県清水、桜橋夜景。
目が覚めて、おかしな夢を見たものだと思う。
夢というのは自作自演なので、やりこめている母親もやりこめられている息子も自分であり、
「(かなわないなぁ)」
と頭をかきながら苦笑いする息子を演じる、ジブンの名演技にも自分で感心してしまう。こういう夢を見るというのは自分という存在が曖昧な日本人ならではの現象で、欧米人はそんなけったいな構造の夢を見ないんじゃないかと思うんだけど養老先生はどう言うかしら。
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たとえば、相手の短所などなじると相手から「それは自分じゃん(おまえこそそういう短所も持っている)」と返ってきたりします。
少年にボクとよびかけたりするのは、全国共通でしょうが・・・
「♪われは行く~さらば昴よ~」
という歌詞を聴くと「われは行け、おらは行かない」とさよならを言っているようだし、「われは海の子」の逆といわれてパッと出るのは「おらは山の子」ですね。
相手のことを「ワレ」と言うのは、静岡の街中(?)の子の間では使われていなかったのです。
小学校のころ、郊外(当時)の小学生に「ワレもかたれ(お前も仲間に入れ)」と言われたときは全く意味不明でチンプンカンプンでした。(笑)
まあ、今の小学生には全く使われていないでしょう。
なにしろ「できる」「心」などを東京風のアクセントで話しているくらいですから・・・
>相手のことを「ワレ」と言うのは、静岡の街中(?)の子の間では使われていなかった
祖父が聞いたら「静岡じゃまちばの衆は相手を『われ』とは言わないだっちょうよ!」と笑って驚くかも。十返舎一九の頃はどうだったのでしょうね。僕の記憶では方言に関しては「いかず」(行きましょう)が意味逆転の例で弥次喜多の笑いのねたになってましたが「われ」はどうだったのか一九さんに聞いてみたいですね(笑)
>「わりゃぁ、何をしてるだあ~」と初めて言われた時、ドキッとした
ひとこと「わりゃぁ!」と一喝されるのも清水の子どもにはけっこう効きました。
僕は東京の小学校を卒業して清水に帰り「われにくれるか?」と中学校の同級生に言われて意味が通じませんでした。「われ」が「あなた」だということは知ってましたが、「くれるか」が「あげようか」だとは知らなかったのです。
清水のざいでは本音であることを告げるために「いやこまる(困る)」に続けて「ほんとにこまる~」と続けたりします。ははは