▼肴町の蕎麦屋

 歴史研究にはふた通りの方法があって、文字として書き残された古文書を研究する方法と、発掘などの調査によって現存する物を読み解く方法であり、二つの方法による研究成果を互いに持ち寄って新たな発見を探る試みがようやく始まっていると聞いた。

 素人が歴史研究をしようとしたら、勝手に遺跡を掘り返したり文化財調査をするわけにも行かないので、できるとすれば私的に古文書に当たることになるのだけれど、達筆で書かれた古文書を読み解くこともまた素人には容易でない。古文書どころか、サラサラと書かれた毛筆の書き物ですらちゃんと読めないので、歴史の調べごとなどには向かない自分を恥ずかしく思う。




駒込発秋葉原行き都営バス内にて。



 東京都文京区向丘二丁目。このあたりはかつて駒込肴町(さかなまち)という地名で、江戸時代にはその名の通り鮮魚を扱う店が軒を連ね、江戸有数の肴店(さかなだな)のひとつだった。本郷通り日光御成道、「本郷も かねやすまでは 江戸の内」と言われたかねやすを通り越して駒込方向に進んだ場所であり、 海の魚を天秤棒で担ぎ肩を血だらけにした魚屋が、はるばる河岸から走ってここまで売りに来たという。
 この辺りには農民が江戸市中に野菜を売りに行く途中休憩地があり、それが発展して駒込土物店(つちものだな)という神田、千住と並ぶ野菜市場になっていたので、野菜や魚を商う絶好の場所だったのかもしれない。




肴町長寿庵の広告。



 その駒込肴町に肴町長寿庵という蕎麦屋がある。
 駒込発秋葉原行きのバスに乗ったら店の車内広告があったのだけれど、「江戸蕎麦匠○○○○○肴町長寿庵」と書かれた筆書きの「○○○○○」が読めない。終点秋葉原駅前まで頭をひねったがどうしても読めないので写真に撮ってきた。今こうやって眺めてみてもやはり読めない。
 納魚御用を勤める小田原町の魚商たちが日本橋に魚河岸を開いたことにより、駒込肴店も近世後期あたりには消滅したという。

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コメント
 
 
 
降参 (あおい君)
2009-06-28 16:42:32
小一時間考えてしまいました。(笑)
「之与り春江」では、これから夏なのにおかしいと思ったり・・・
 
 
 
 (たつ)
2009-06-28 18:13:18
「志よのすけ」と書いてあるそうです。
どうしても読めなくて、「江戸蕎麦匠 庄之助 肴町長寿庵」に直接電話で聞いてみました(笑)
庄之助→しょうのすけ→志よのすけ、
好きな蕎麦屋なので、でしゃばってしまいました。
 
 
 
喉ごしすっきり ()
2009-06-29 07:00:13
あおい君、たつさん、解読協力ありがとうございました。電話してくださる行動力に感心しました。メールでヒントをくださった方にも感謝です。近ければぜひ肴町長寿庵で喉ごしのよいざるそばでもふるまいたいところです(笑)
静岡在住の方は蕎麦屋に恵まれて舌も肥えているかもしれませんね。商品作物としてお茶栽培が始まる前は、静岡市は一大蕎麦産地だったので今でも蕎麦屋が多いと本にありました。

この肴町長寿庵は近所に実家のある楠木トシエさんもご存じかもしれません。

取り急ぎお礼まで。
 
 
 
志・2 (たつ)
2009-06-29 08:46:25
読めないままでいることがよくて、無粋なことをしてしまったかな、と気にしていました。記憶違いでなければ、この店には友人と一緒に行った覚えがあります。「食堂じゃん」って言う人もいるけどね、と店に入る前に友人にいわれましたが、なつかしい東京の洗練だけではない良い意味での野暮な味が好きでした(これは私の好きな東京への最高の褒め言葉です)。
場所も覚えていないので別のお店なのかもしれませんが、この店なら真っ昼間から酒が気楽に飲めそうだなと、友人と話したことを思い出しました。
 
 
 
東京の四半世紀 ()
2009-06-29 10:45:37
そういわれて記憶がよみがえってきました。
今から四半世紀前、僕はこの店の近くに今もある某電機メーカーデザインセンターでサラリーマン・デザイナーをしており、昼食時にこの店にも良く行きました。数年前の再開発で巨大マンション一階に再開店する前、確かに本格蕎麦というよりごく普通の定食が食べられる食堂風蕎麦屋でしたね。あたりかもしれません。

余談ですが、東京も「しるまっから板わさで酒を呑むなんざ粋なもんだねぇ」と言いたげな商売をする蕎麦屋が減ってきて、昼食時を過ぎるとさっさとのれんをしまって「休憩中」になってしまう店ばかりになってきました。「天ぬき」で一杯……なんざ粋なもんなんですけど。
 
 
 
「静岡の長寿庵」 (うきふね)
2009-06-29 12:29:47
「営業距離11キロメートルの静岡鉄道静岡清水線」の新静岡駅の次の駅、日吉町駅を降りて北東へ細い道を50メートルも歩かない角にも『長寿庵』という蕎麦屋があります。現在も店へ出ている先代が東京で修行して暖簾分けしてもらったんだそう。『長寿庵』はなんと、全国に300軒以上もあるらしいです。暖簾分けのルーツによって、庄之助(自分も読めなかったです!!)とかの名前がついているのかしらと思いました。全体はグループとして「長寿会」という名前があり、今も仲がいいらしいです。実はこの「日吉町長寿庵」のすぐ近くに随分流行っている蕎麦屋があるんですが、その店の隆盛ぶりを全く気にしていないマイペースの先代店主が言うには、「あんな硬い伸びない蕎麦なんか蕎麦じゃない。伸びるのが蕎麦なんだって…」。たしかに…時々食べに行きたくなる『洗練だけではない良い意味での野暮な味』です。昼間っから…は憧れですが今度ぜひトライしてみよう!余談ですが、その先代店主はもう70歳は超えていらっしゃると思うんですが、パソコンはじめメカ関係に非常に詳しく、時々パソコンを作っているらしいです。
 
 
 
静岡の蕎麦 ()
2009-06-29 13:02:10
「静岡の長寿庵」知りませんでした。
僕は雑誌『すろーらいふ』に掲載された蕎麦処特集に載っている店が旧静岡市市街地エリアにある蕎麦屋のすべてだと漠然と思っていたのですが、静岡市そば商組合に加盟していない店は載っていなかったんだ……とうきふねさんの情報を見て気づきました。なんとなく行ってみたい店なのでぜひ訪ねてみます。

パソコン自作をする70歳超で思い出したのですが、新静岡駅に建つ再開発ビルに東急ハンズが……という噂を小耳に挟んだ気がするのですが、実現すれば手作りが好きで小器用でまめったい静清地区では繁盛するんじゃないかな。
 
 
 
再開発 (うきふね)
2009-06-29 22:24:20
新静岡駅の再開発ビルに入るかも…の東急ハンズの噂は私の耳にも挟まってきています(?)。もう何十年も前のことですがハンズというネーミングを最初聞いたとき「負けたっ!!」と思ったことを思い出しました。若かったから生意気に悔しがったり感心したりしていました。…と、話が横にそれましたが、そうそう「長寿庵」にはぜひどうぞ。「近所に一軒蕎麦屋があるからそこでマアどうだい」みたいな店ですが。店の改装なんてちっとも考えてないようなところが好ましいです。ま、先代が言うように蕎麦は伸びます。
しかし、再開発の話に戻りますと、あの辺り一帯は、まさしく再開発で変貌しつつある町です。この1,2年であれよあれよという間にブティックやカフェなどが増えて、おしゃれな町との評判が立ち、マンションもにょきにょき建ちました。しかしまだまだ裏通りも路地も残っていて、ほっとしながら歩くことができます。だから「おしゃれな町」なんですよね。
話をもっと戻して歴史研究のことに戻ると、古文書を読むのは専門家に任せるとして、どうしてこんな曲がりくねった細い道がここにあるのか…とか考えながら路地を歩き、手がかりになるお話などに出会いながら「歴史研究」をするのは、(ま、研究というレベルにはとってもそれだけでは行き着けないんですが)、楽しいな、と思っています。
 
 
 
東急ハンズ ()
2009-06-30 04:18:22
静岡店に関してはウィキペディアに「現在条件交渉中。正式決定すれば2011年秋ごろ出店の予定。」とありますね。
僕にとっても東急ハンズのコンセプトとセンスは衝撃的だったのですが、ハンズを知ったのは1978年開店の渋谷店がきっかけです。一号店がその二年前の藤沢店というのをついさっき知りました。最近はもっぱら駅隣接の新宿店に行きます。

曲がった道を見つけたら自分で想像するのもいいけれど、地元のお年寄りに理由を聞いてみるのが一番ですね。意外な真実がわかったりします。それが素人にできる歴史へのコミットの数少ない有効な方法かもしれませんね。聞いてわかった事実を何かに書き残すこと。それは今の時代ではなく未来の人々への暮らしの歴史資料になると思う。聞き書きは未来への考古学かも。

佐野眞一さんが、聞いてあげる人さえいればどんな人にも必ずびっくりするようなお話がある、という意味のことをおっしゃっていましたが本当にそう思います。

そういう話を聞いて「ちいっと いとんたったら のびちゃったっけや」とのびるから美味しい蕎麦のような肩肘張らずいつまでも暖かい聞き書きが残せるといいですね。
 
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