▼バラが咲く頃

東京都北区西ヶ原三丁目。

このバラが咲くお宅の裏手にあった民家2階に二年間下宿していたことがある。


   撮影日: 07.5.16 2:53:59 PM
   OLYMPUS E-410 CarlZeiss Sonnar 100mm F3,5

東京都豊島区駒込一丁目。

親たちが次々に倒れるまで、このバラが咲く坂道は
黄昏時になじみの居酒屋へ向かう近道だった。


   撮影日: 07.5.16 3:36:19 PM
   OLYMPUS E-410 CarlZeiss Sonnar 100mm F3,5

旧古河庭園のバラ園でなくても
街にはまた丹精されたバラが咲き夏の訪れを告げている。

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コメント
 
 
 
バラと江戸のかをり (あおい君)
2007-05-18 18:21:21
▽旧古河庭園のバラ、感慨を持って拝見しました。
ちょいとセンチメンタルに(謎)
手入れされた庭園というのは、言わば偽りの自然かもしれませんが、それでもここは、洋館とバラが相乗効果で安らぎを与えてくれて、至福の空間をつくっているような気もします。

▽東京の街のなかでも、旧日本橋区や旧神田区などは、昔の町割りが比較的よく残っていて、表面的なその姿はたとえ著しく変身していようとも、どこかに江戸のかをりを感じたりすることができて好きです。
神田山があったころの地図は、なかなかないかもしれませんね。


 
 
 
RE:バラと江戸のかをり ()
2007-05-19 02:21:45
> ちょいとセンチメンタル

旧古河庭園を訪れられたことがあるのですね。
実は旧古河庭園脇、日光御成道沿いに『宮口ベーカリー』という小さなパン屋があります。ネット上の掲示板でそのお店のパンが美味しいと聞いたので昨日訪ねてみました。
店の奥に注文を受けて焼き上げた食パンを名札をつけて並べておく木製の棚があり、とても年季が入っていたので「古くからご商売をされているのですか?」と聞いてみました。旧古河庭園と通りを挟んだ場所にある滝野川小学校脇で石窯を使ってパンを焼いていたことがあるのだそうです。昭和の初めごろの話であり、ちょっと坂を下った現在地に移ってもう60年だそうです。
石窯のあったお店は「撤去された」とおっしゃっており、旧古河庭園前の日光御成道を直角に霜降橋方向に降りず、田端方向へ直進する作りかけて断念したような太い道があるので、都市計画等で立ち退きになったのかも知れません。昭和一桁の時代の東京地図を手に入れておくと面白いのかも知れません。
余談になりましたが旧古河庭園脇で70年もパンを焼き続け「古いだけが取り柄で…」とおっしゃる奥さんの話を聞き、ちょっとセンチメンタルになった…という余談です。

> 神田山があったころの地図は、なかなかないかもしれませんね。

安倍川の流れを変えてダイナミックに行われた駿府のまちづくり、そして神田山(駿河台)を削り神田川をつくりつつ海を埋め立てて日本橋や銀座あたりをつくった江戸のまちづくりって、映像として再現して見せてもらわないとダイナミックすぎて文章だけでは思い描けませんね。
うんと細部を見る視点か、もっとダイナミックに俯瞰する見方をしないと表層的なものにとらわれがちになる自分がいます。
 
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