【玉泉寺再訪】

【玉泉寺再訪】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 4 月 23 日の日記再掲)

静岡県清水船越町。
日本平丘陵の日当たりの良い東南斜面に曹洞宗玉泉寺がある。54 歳の若さで亡くなった友人にお別れするために帰省し、一度も訪ねたことのなかった友人宅が、その門前にあったことに驚く。

母がガンに罹ったことを知り、毎週末帰省していた昨秋の朝、気分転換に自転車を漕いでの散歩で偶然訪れ、その眺望の良さに驚いたお寺である。あらためて墓所を歩くと友人と同じ姓の墓が多いのに気付く。

馬走(まばせ)、今泉、船越、矢部といった地名の続くこの地域、かつて静岡が徳川領となって駿府城が築城された際、三河より連れて来られた石工などの職人が、城の完成後、好きな場所に土地を与えるから住めといわれ、この地を所望して入植したのだという。そういえば昨年、この辺りに住む母の友人が亡くなり、その旧家から夥しい江戸時代の漆器や刀剣が出てきて我が家にも少し形見分けをいただいたが、旧家の多い地域なのかもしれない。

船越堤公園より流れ出る清流沿いに細道を登るともなく登り、寺のちょっとした石段を駆け上がると市街地から駿河湾、そして富士山が見える絶景が広がる。徳川家より永住のための土地が貰えるとしたら、自分もこの場所を選んだかもしれない。少し南下した斜面、県道駒越富士見線沿いにある天王山遺跡からも各時代が重層した住居跡が見つかり、日本平山麓は太古から現在に至るまで一貫して住みやすい土地なのである。

境内に巨大な銀杏が一本あり、見上げると見事な雄花をつけていた。
六義園内でも雄花をつける巨木があるけれど、これ程に勢いのある雄の銀杏は見たことがない。母は、生気を貰うのだと言って太い幹に両手をあてていた。

友人はこの銀杏の根方に永眠する。
ぐるっと清水市街を見渡すと、自分の墓も含めて、郷里の友人たちが将来永眠するであろうそれぞれの菩提寺の場所もたいがい察しがつくわけで、重層する時の流れの中、みんな揃って日当たりが良く住みやすい海辺の街で、枕を並べて眠ると思うと少しだけ愉快な気もしてくる。

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