【智恵は頭の外にある】

2020年6月26日

【智恵は頭の外にある】

一人ひとりが加齢とともにぼんやりしてきていても、そのぼんやりした隣人たちが数人顔を合わせて立ち話していて、そこに偶然通りかかって呼び止められたりすると、ぼんやりした人たちが結びつくことで、ぼんやりした人たちでなくなっていることに驚く。なんだか世界が昔に逆もどりしたようで嬉しい。

集合知とか集団的知性(collective intelligence)とかいわれる大仰なことではなくて、三人寄れば文殊の知恵と言われるように立派な文殊の知恵でもなくて、とるに足らぬ近所の立ち話でのことだ。一人ひとりだと最近言動がとんちんかな人たちでも、互いの頼りなくなった脳力が支え合うように、しゃっきりした事が話せたりするのだ。

数人が掛け合い漫才のようにして話すことで、こちらの言いたいことも通じるし、先方の言わんとすることもわかる。そういう状態のとき、一人ひとりの知性は頭の外にあって集合の知性として機能している。年寄りの要介護レベルが調査されるとき、家族がそばにいて口を出したりすると、年寄りが実際よりしゃっきり振る舞ってしまうのはそういうことだ。

介護ヘルパーさんに付き添われているお年寄りの明朗さが一人暮らしになったとたん不安げに失われていることも、相方を亡くした漫才師がとたんに輝きを失ってしまうことも、昨日立ち話で盛り上がった隣人が今日一対一で挨拶したらモヤがかかったようにぼんやりしていることも、多分そういうことなのだろう。

そういうごく身近な現象からつらつら考えるに、人間の知性とはそもそも頭の中にあるのではなく、頭の外にある関係的な集合のことなのだろう。

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