【刹那と純粋経験】

2020年6月25日

【刹那と純粋経験】

刹那はきわめて短い時間のことで、その「きわめて短い時間」は指を一度はじく間に六十あって、その「六十あって」のことを六十刹那といい、その「六十刹那」には六十五刹那であるという異説があるわけで、その「ある」ということ自体がいかにも不確かだ。なぜ不確かかというと刹那は無限に短いからで、無限に長いことは想像できても、無限の短さを思い描くのはむずかしい。その「むずかしい」ことを西洋語で言えばインスタントであり、その「無限に短い」 instant は「立つ」を意味するラテン語 stare に由来し、stare が変化した sta に「いる」を意味する nt が付いたものだ。instant は端的に立っている。

「人間ひと皮むけるなんて言うけど、むきすぎると芯だけ残って、立っている線のようになっちゃうんじゃないか、立っている棒人間!」などと話して家人と大笑いした。なんでそんなバカ話になったかと言うと、切磋琢磨しあうにもほどほどの限界というものがあるだろう、という話の流れになったからだ。

西田幾多郎が言う純粋経験というのは無限にひと皮むけて、それでも立っている棒人間を思い浮かべるとわかりやすい気がする。無限に細まっていく棒人間には五感がうける刺激も主客未分の直接経験「毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態(『善の研究』)」であるだろうからだ。

「あ!」

…と書いているところで地震があった。発生時刻午前 4 時 47 分、震源地千葉県東方沖、震源の深さ 30 キロ、規模はマグニチュード 6.2 。結構揺れた。

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