◉そして老人になる 2

2019年5月15日(水)
◉そして老人になる 2

五月になり新しいコンピュータで仕事を始めたら、仕事ごとに細かな不都合が出て、見つかるたびに足りないソフトや欧文フォントの再インストールをしている。

仕事ではないけれど、妻が趣味で手作りしている 20 弁オルガニートの 2019 年夏版の音楽 CD を焼き始める。新しいコンピュータにしていろいろ管理していた音楽データの不都合が見つかったので、午後はその復旧作業で潰れてしまった。環境の変化で発生したように思えるけれど、もともとあった不具合が露見しただけかもしれない。いずれにせよあれこれ忙しい。

雑誌 Bricolage(ブリコラージュ)の最新号が発売になって読者に届いたらしい。関係者への献本は遅れるのでまだ手元にないけれど、読者からの感想は届き始めた。親たちの看取りが終わり老人ホーム訪問がなくなったので前号から連載を新シリーズにした。初回原稿は講談社の編集者に褒められてちょっと嬉しい。

「そして老人になる」と題した連載2本目には、お世話になった出版社社長の思い出話を書いた。掲載号が発売になったので転載しておく。雑誌 Bricolage は定期購読主体なので書店売りされていないけれど、池袋ジュンク堂では二つのフロアで棚おき販売されている。ありがたいことである。

   ***

Bricolage 260 号 表紙写真撮影:川上哲也

装丁者のひとりごと
そして老人になる 2
「死をポケットに入れて」

 半還暦30歳のとき息苦しい会社勤めを辞めて自由業になった。そうなるのを待ちかねたように近づいてきた人がいる。「ねぇ、北海道社協へ講演に行くんだって? だったらNさんとTさんという人をを訪ねてごらん。面白いから」と、不思議な笑みを浮かべて近づいてきたのが福祉系出版社社長のTさんだった。
 「会った、面白かった、良くしてくれた」と言ったら「ねぇ、こんど三好っていう面白い理学療法士がいるから会ってみない?」と言われ、「ねぇ、これからはコンピュータで仕事をする時代になるから、みんなでマックを買わない?」と誘われ、「ねぇ、芸をもってる人間が集まるとどれだけ凄いか見せられたら人生勝ちいくさだぜ!」と煽てられ、たくさん仕事をし、たくさん遊び、たくさん飲み、たくさん笑っているうちに、結局還暦過ぎるまで楽しく仕事しながら食えてしまった。
 Tさんといえば作家で詩人だったヘンリー・チャールズ・ブコウスキーを思い出す。70歳にして愛用のタイプライターからマックに乗り替え、老いと死について書きまくり、嬉々としてキーボードを叩きながら1994年に死んだ。最後の三年間の日記は『死をポケットに入れて』と題して河出書房から文庫本化されている。
 大宮駅の宇都宮線ホームから出る八王子行きの電車に乗ったら高架を走るので秩父山地の山並みが見えて美しい。その電車に乗り、武蔵野原にポツンとある小さな病院に入院したTさんを見舞ったのは2012年12月8日だった。三階の入院病棟に行ったら、ベッドの上にちょこんと座って本を読んでいる姿が、病院にサイズを合わせたように小さく見えた。
 病気のせいでかなり朦朧としていると聞いていたので心配したが、本から目を上げて嬉しそうに笑い、ベッドを降りて廊下に置かれた面会テーブルにいざなう。よろよろと足もとがおぼつかないので手を差し出したら「大丈夫」と言う。
 親たちに付き添ってみたら、病院は老人にとって、選ぶのではなく流れ着く場所だと思うことが多かった。母も義父母も漂流の果てに思いがけない病院へ流れ着いた。Tさんに、どうしてこの病院に来たのか、選んで来たのかと聞いたら、やはり思いがけずここに流れ着いたと言う。
 「この病院、おっもしれぇんだ」と唾を飛ばしながら楽しそうに笑うので「病院は島のようなもので、面白がれれば面白いよね」と、われながら意味不明のことを言ったら「そうそう」と嬉しそうに笑う。人は病気になったら椰子の実のように名も知れぬ遠き島に流れ着くけれど、流れ着いたら島の大きさに合わせた暮らしがあるんだよね、という小さな愉しみ方のことを話したかったのだけれど、ただ愉快そうに笑うので通じたかどうかはわからない。

 むさしのは月の入るべき山もなし
 草より出でて草にこそ入れ

と歌われたように、武蔵野原の夕暮れは寂しい。窓の外を見たら急速に夕暮れが近づいてきたので、「また来るね」と言ったら「おれ死んじゃうのかなぁ」とポツリと言う。
 不意をつかれたのでなんと答えたか記憶にない。Tさんとは本の貸し借りをして感想を述べ会うのが楽しかった。「Tさん、気にいると思うから読んでみて」と言ってブコウスキーも貸してあったのだけれど、感想を聞く前にポケットに入れたまま他界されてしまった。(Bricolage 260 号より)

   ***

夜は一杯やりながら録画しておいた NHK クラシック倶楽部でロナルド・ブラウティハム フォルテピアノ・リサイタルを観た。来年ベートーベンはめでたく 250 歳になり、56 歳で他界したのちも音楽の中で長生きしている。フォルテピアノで聴く「悲愴」は素晴らしい。

(2019/05/15 記)

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