電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
靴が鳴る
2014年4月29日(火)
靴が鳴る
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00
東京の小学校に入学して最初の遠足は荒川区の荒川遊園地で、歩いて行ける距離だったがバスで行った。東京で遠足といえばバス旅行のことだった。
01
清水の中学校に入学して最初の遠足は迎山町の忠霊塔で、歩いて行ける距離なので歩いて行った。バスで行く遠足には遠足ではなくバス旅行という別名があった。
02
十年前の日記を読み返したら、家族五人全員が駒込に揃って食卓を囲む暮らしをしており、童謡『靴が鳴る』の中で、どうして子どもたちの靴が鳴るのか、などという事を話題に団欒していた。
03
義母から「昔は靴も満足に買って貰えなくて、親や親戚や姉からのお下がりの靴ばかり履いていた。歩くとゆるゆるの靴の底が足裏を打って、ペッタンペッタンと鳴ったものだったが、そういう靴をみんな履いていたのではないか」というしみじみとした意見が出たので、わが家の正解にしたと書いてある。
04
童謡『靴が鳴る』の作詞者である清水かつらは文京区にあった私立習性尋常高等小学校を卒業している。場所は本郷通りから後楽園に向かって壱岐坂を下った右側、東洋学園大学のあるところだ。坂の多いまち文京区も当時はまだ田畑が多かったので、歌詞にあるような徒歩で行く遠足をしたのだろう。
05
遠足は心を弾ませることで足を前に進めるものである。「唄をうたえば」「丘を越えれば」「はねて踊れば」心が弾んで、もっともっと歩きたくなり、腕試しにはやる気持ちを「腕が鳴る」と言うように、先へ先へと歩きたくて心がむずむずする様子を「靴が鳴る」と言ったのだろう。
06
十年が経って五人家族も二人家族になり、母と義父は清水の寺にある墓の中、義母は埼玉にある老人ホームで暮らしている。そして作詞者清水かつらは駒込の吉祥寺に永眠している。春の祝日は靴が鳴るので、今日は遠足をかねて老人ホームの義母に会いに行く。
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十年前には靴がなる理由を別に考えていたのですが、今いちばん腑に落ちる答えを段落 05 に書きました。十年後のいま検索してみたら、新入学を祝って新調された靴がなるのだという説に混じって、これは軍国主義化を煽った歌で鳴るのは軍歌の響きだと断じた本まであることに驚きました。
強引に作者を愚弄するに過ぎない暴論にはくみしないけれど、足音と靴ひとつとっても人の心を動かす力があるということに、鳴らす警鐘としてはわかる部分もありますが(靴が鳴る余談)
遠足、夏休みといった言葉を聞くとなぜか浮き浮きしてくるから不思議です。でも、この歌は、歌いながら遠足に出かけたキオクもありません。が、不思議とどこかでおぼえているから不思議です。
もず、の写真も、「おーっ!」でした。
もちろん題名は知らず「おててつないで」と言っていました。(童謡の題名はむずかしい)
それはともかく、なぜ靴がなるのかという問いに対する母の答えは、静岡では子どもはズック靴だが、東京では子どもでもみな革靴(当時は当然革底)を履いているから靴がなるのだろうと言う単純なものでした。
当時はそんな返答で十分満足していました。(笑)。
「おーてーてんぷらつーないでこちゃん…」(つづく)などと替え歌を唱っていました。
小学校入学時に革靴を履かされたのですがすぐに小さくなってしまい、母に
「せっかく買ったんだから我慢して履け」
などと言われてしばらく痛い思いをしました。それ以来、黒い革靴は嫌いです。コツコツうるさいし(笑)