【誕生日】

【誕生日】
 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 9 月 5 日の日記再掲

3 年連続して郷里静岡県清水で迎えた 9 月 4 日の誕生日。

2003 年は母が県立静岡総合病院で末期のすい臓がんだと告知を受けた辛い日だった。

そして 2004 年は、母が 5 人の大家族を離れ、東京から清水に戻って再びひとり暮らしを始めるという、息子としては苦渋の選択を受け入れた日だった。

母ひとり子ひとりの過度に癒着した親子故の別れの苦しみがあり、その中でたくさんの方から励ましの言葉をいただいた。その中に心を手づかみして揺さぶるような、ありがたく忘れられない言葉が二つある。

医学に詳しい友人からは、
「医者の言うとおり、半年と言われれば必ず半年で別れが来る。遺された日々は長くない。長くないからこそ、思い切り今を、癒着した母と子として生きろ」
というものだった。寂しく悲しく苦しいのは子どもも大人も同じであり、寂しくて悲しくて苦しいなら「寂しくて悲しくて苦しい!」と叫びながら生きればよいのだと言ってもらえた気がした。泣くなと言われるより、思い切り泣いていいのだと言われることが、人を数倍も励ますことがある。

ただし「長くないから」と励まされてからが長くて、とくにその後の一年間は母の異様な心の苦しみに寄り添って生きたのである。「(長くないから、と言われたけど長いなぁ)」というのが看護・介護中の正直な感想だった。だが、母に死なれてから振り返ると 2 年間は確かに短かったと思えるので、友人の言葉に嘘はなかったのだとありがたく振り返る。

もうひとつの言葉は、昨年の誕生日に来てくれた2歳年上の友人が言った
「誕生日おめでとう。四捨五入して 100 歳へようこそ」
であり、これは広い空の下にどんと背中を押されて走り出たように、閉塞感からの救いになった。

寂しく悲しく苦しくて泣いても涙を隠さなくていい、人間 49 歳までは四捨五入すれば 0 歳児であり、50 歳からは四捨五入すれば 100 歳の老人なのであって、0 歳の乳児と 100 歳の老人なら寂しく悲しく苦しいと泣いたってちっとも恥ずかしくないのだ、と教えてもらったのである。

   ***

がんばれ、がんばりすぎて泣くのはちっとも恥ずかしくないぞ、という言葉に励まされて母の看取りを終え、青空にひとつだけ取り残された雲のように奇妙に明るい誕生日である。

美濃輪町を目指して久能街道を走ったら上清水大小山慶雲寺のありがたいお言葉が更新されていた。

「今日は今日で新しい よし行くぞ」

【茂知屋のカレー南蛮】

母はカレー南蛮そばが大好きであり、それは親子で気があって嬉しいことのひとつなので、何軒母と食べ歩いたかわからない。

清水次郎長通り商店街のサイトに『茂知屋(もちや)』のカレー南蛮が美味しいと書かれていたので母に話すと「今度行ってみよう」と言っていたけれど、病状が悪化してとうとう叶わなかった。

誕生日なので母への感謝を込めて(?)昼食に噂のカレー南蛮そばを食べに行く。

Data:RICOH Caplio R1

DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

おいしい!
カレー南蛮などは所詮新しい創作そばなので、店ごとに自由であって良いと思うけれど、かけそばに昨日のカレーをかけたようなカレー南蛮はどうしてもお金を払って食べる気がしないが、ここのカレー南蛮はかなり理想に近い。
 
きっと母も草葉の陰で地団駄踏んでいることだろう。

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