【今東光の闘鶏】

2020年7月29日

【今東光の闘鶏】

幼い頃のテレビの中に、ツルツルして見事に丸いお坊さんが出ていて「今東光(こんとうこう)さん」と呼ばれており、お坊さんではなく「作家の」と肩書きが冠されていた。なだいなだもテレビに出るときは「肩書きはなんとお呼びしましょう」とよく聞かれたという。本業がわからない。子どもの目から見たら今東光の肩書きはどう見てもお坊さんであり、意味のわからないチンチンナムナム的な本ばかり書いている人なのだろうと思っていた。

亡くなられたのが昭和 52 年だから、清水の高校を卒業して大学生をやっている頃までご存命だったのだけれど、書かれた本はひとつも読んだことがない。清水の友人宅から借り出した筑摩書房『ちくま文学の森10 賭けと人生』は賭け事と人の生き方についてのアンソロジーなので、知っていて読んだことのない人、名前すら知らなかった人の作品を、諄々として順々に読んでいる。

今東光『闘鶏』というちょっと長めの作品が納められて、河内平野の闘鶏について、河内弁を交えた稠密な文章で書かれている。筆者も文末に書いているように、いつかは失われていく土着的な庶民文化の貴重な記録になっている。血と汗が臭い立つような人と鶏との生きざまは、こういう筆力のある作家を得なければ書き残され得なかったかもしれないと感心した。

見事な作品と文才に圧倒されたので、作家としてではなくチンチンナムナムの方ではどうだったのか知りたくなり、集英社文庫『毒舌・仏教入門』を注文した。昭和 50 年 8 月に 5 日間連続で行われた最後の説法の記録である。

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