電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【自分の伝言】
2020年7月28日
【自分の伝言】
メモを自分の言葉による表現としてとらないと、あとで読み返してなんの役にも立たないことがある。記憶力の衰えもあるだろう。自分が書いた箇条書きや単語羅列メモを読んで、自分が何を言いたかったか解読できないことが増えてきた。
過去にとったメモを整理していたら、
「表現の方向に開いていくとは、手っとり早くいえば、辞典的な性格から通読に耐えるエッセー集に近づけるということである」
という中村雄二郎さんからの引き写しがあった。メモのとり方とは関係のない文脈で語られたものだけれど、都合よくお借りして「メモ書きを表現の方向に開いていく」と言い換えるとぴったりであるように思う。
最近は読んでいる本の余白への書き込みも、「自分はこうであると思う」と自分以外の者が読んでわかるように書いている。あとで読み返す自分が、別人のようによそよそしいことが多いからだ。たぶん人は年を取るにつれ、自分が自分でなくなっていく。
◉
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 【バトンゾーン】 | 【今東光の闘鶏】 » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |