【山の上の雲】

【山の上の雲】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 7 月 17 日の日記再掲

 

7月15日(土)、清水に帰省するたびに「ただいま」と帰って行くおなじみのラーメン屋、その店のお母さんはわが母よりひとつ年上で今年喜寿を迎える。孝行息子たちがお祝いをすることになり、常連さんに混じって仲間に入れてくれるというのでいそいそと出かけて行った。

お友達が由比の山持ちで、その手作りの山小屋を借り昼食を兼ねたバーベキューをするというのだけれど、郷里でも蒲原・由比・興津の海岸線地帯がひどく好きなので、海に面した高いところで一杯飲めると聞いただけで嬉しくなってしまう。

■由比駅前にて。
RICOH Caplio GX 

■由比駅前観光案内板。
RICOH Caplio GX 

海の見える高台で缶ビール片手にほろ酔い気分になり、どうしてこの土地が好きなんだろうと思う。

ここは遙か昔から交通の難所であり、山が海辺まで迫った猫の額ほどの海岸線に、東名高速道路、国道 1 号線、東海道本線、旧東海道がコードのように束ねられて走り、腰を下ろしたこの山の下もまた由比トンネルになっていて東海道新幹線が轟音とともに走り抜けていく。

静岡県清水市に生まれて親とともに故郷を出奔し、清水・東京間を何度も何度も激しく往復して半世紀が過ぎたけれど、その往復の泣き笑いは東名高速道路や国道 1 号線や東海道本線や旧東海道や東海道新幹線を結束したこの場所を必ず通っていたのであり、交通の難所は人生のすべてを概観する要所でもあり、「そんな人生」と言葉でひとつかみにするための急所でもあった。病んだ母を連れ途方に暮れつつ右往左往して演じた泣き笑いのどたばた人生は、泣いても笑ってもこの結束点を通過していたのである。

■かつて「がけくずれ」があった斜面に作られたドッグランより。桜の苗木も植えられている。向こうに山小屋が見え、その向こうに「さった峠」がある。
RICOH Caplio GX

 

■地滑り跡の先には東西交通手段の結束点があり、司馬遼太郎の言葉を借りれば日本の歴史はこの場所を行き交うことによって作られた。
RICOH Caplio GX 

山小屋前を V の字になって海まで続く斜面は、かつて大規模な土砂崩れがあって山がえぐり取られた跡なのだそうで、背後の山を削り、コンクリートの段々を設けることで崩壊を食い止める治山工事をしたのだという。もともと濁沢と呼ばれる流れがあって大規模土石流が発生したらしい。

由比駅前から旧東海道を進み、山道を登って山小屋に向かう際に、左へ折れる「さった峠」と手書きされた木製標識がある旧道への分かれ道があり、おやっと思って帰京してから調べてみたら、おそらく山下清もかつてこの近くを訪れている。

「ぼくは峠の景色で一番きれいだと思ったのは日豊線の「つくみ峠」だな 甲府の精神病院からやっと逃げだしたとき なるべくみつからないように山の方ににげたので その山の峠からみた町の景色もよかったな ここの峠は「さった峠」だな 昔の人はこの峠から富士山だの海だの見たのに いまどうしてそこへいけないかというと がけくずれのためだな そのがけくずれを描くかな」(山下清『東海道五十三次』毎日新聞社より)

そう言って山下清は「がけくずれ」という絵を描いている。「さった峠」に登って「富士山だの海だの」を眺めて絵が描きたかったのに「さった峠」へ向かう道はがけくずれで通行できず「がけくずれ」の現場を見上げて描いているが、その崖崩れの現場こそ由比駅前から「さった峠」へ向かう道の中間にあるこの場所だったような気がする。

■入道雲が顔を出し、あっという間にまた夏が来た。
RICOH Caplio GX 

■静岡にいると「 S 」字型の雲まで嬉しかったりする。
RICOH Caplio GX 

山小屋から富士山は見えないのかという質問に、富士山は裏山の頂に登らないと見えないとご主人は答えていた。

富士山の眺望を遮っているであろう山塊を見ていたら、稜線から夏到来を思わせる小さな入道雲が顔を出し、右手に真抜けた「 S 」字型の雲が浮かんでいた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 【 2006 年の... 【楠楼前灯ろ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。