電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【清水みなとの名物は わが心の劇団ポートシミズ】
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ご自身が「清水みなと製」であることを作品中で繰り返し書かれている村松友視さんには、今も心の中に清水みなとにおける記憶の棘がいくつも突き刺さったままだそうで、そのひとつが昭和22年から25年半ばまで、短くも鮮やかに戦後復興期の清水っ子を慰め楽しませた「劇団ポートシミズ」に関する曖昧な記憶なのだという。
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『清水みなとの名物は わが心の劇団ポートシミズ』。
その曖昧な記憶に、岡小学校前の文具店で100円払って買ったボールペンで、明確な輪郭づけをしていく過程を描いた書き下ろしノンフィクション『清水みなとの名物は わが心の劇団ポートシミズ』が白水社から刊行された。
清水の人々が劇団ポートシミズを語る時、必ずその劇団に楠トシエが所属したという話しが自慢話のように出てくるのを村松さんも面白く感じていたようで、その記述に笑ってしまったのは、わが母もまさにそういう人だったからだ。
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作品中で村松さんも渡る港橋。
現在の住まいに引っ越す前、僕は文京区千駄木の団子坂沿いに住んでいたことがあり、坂を挟んだ向かいにあった楠山さんというテーラーこそが楠トシエ、本名楠山敏江さんの実家だった。上京して我が家に泊まるたびに、母は劇団ポートシミズとそこに所属していた楠トシエの話を自慢げに何度も話していたのである。
作品中に村松さんが、楠トシエご本人に会って話をうかがう機会を得るくだりがあり、そのあたりでは母親に成り代わって読んでいるような気分になってしみじみとした。母は自分が有名人なら向かいの楠山テーラーにうかがって、劇団ポートシミズと楠トシエに関して、詳しい話しを聞きたいものだと遠い眼差しで話していたのだ。昭和5年生まれ、村松さんより10歳年上の母もまた、心の中の棘として「劇団ポートシミズ」に関する曖昧な記憶を抱えたまま人生を生きたのかもしれない。
村松さんありがとうございました、でももう5年早くこの本を書いてくださったら、亡き母もすっきり心に刺さった棘を抜いて往生できたのかもしれないと思うと残念です。でも、心の中に同じような棘が刺さったまま今を生きている清水っ子には、ぜひとも心の棘を抜いて安らかに、永遠のシアター・パラダイスに向かって旅立って貰いたいものだと、心から願ってやみません。
村松友視著/白水社刊/定価(本体2000円+税)
ISBN978-4-560-08016-0
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それにつけても、電脳六義園通信所長氏の港橋の写真の美しい青。これが今日の私の記憶の色になります。
少年村松氏が垣根越しに垣間見たから補色関係の対比がけばけばしさを増幅したということもありそうですね。
僕は晴れた日は青く、雨の日は灰色に、空と水面がひとつの色合いで同化したがっている、港橋から見る限りなく海抜0メートルに近い巴川河口地域の眺めが大好きです。
浦島伝承も羽衣伝承もこういう曖昧な領域が産み出すのかもと思えたりします。
色にまつわる感想に感謝です。