英国貴族


D800E + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZF.2

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日曜日の夜、NHKで「ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館」というテレビドラマを放映している。
今までにあまり見たことのないタイプの、非常に興味深いドラマだ。
1900年代前半、タイタニック号沈没直後の英国を舞台とした、伯爵家の家族と使用人たちの愛憎劇である。

おもしろいか、おもしろくないか・・と問われれば、非常におもしろい。
では好きか、嫌いか・・と問われれば、実のところ「嫌い」である。
そういう不思議なドラマに感じている。

そもそも僕は愛憎劇というのは好きではない。
人を羨んだり、憎んだり、いじめたり・・・
そういうマイナスのエネルギーを、出来るだけ自分の身近に置きたくない・・と思っている。
だからその点については、やはり好きにはなれない。

このドラマのすごい所は、まずは何と言っても、階級社会のリアルな描写であろう。
貴族と使用人では、生まれつき対等ではない。
それでいながら、共同で生活する上で、少し捻じ曲がった形で、心のつながりも持っている。
とても奇妙で不思議な関係である。

こういう社会が存在していた・・あるいは今でも存在している・・というのは理解している。
しかし、改めてそれをストレートに見せられると、何ともいえない違和感を持つ。
そして今更違和感を持った自分自身にも戸惑うのだ。
遠い国にかつて存在した御伽噺の世界として見ることは、どうしても出来ない。

財産を引き継ぐ男子を必要としていた伯爵家は、タイタニック号の事故で娘の婚約者を失ってしまい、その相続権が遠い親戚の青年に移る。
中流階級出身のその青年は、弁護士を職業としていた。
それを聞いた使用人たちが噂する。
「弁護士? 紳士は働かないものよ」

そうなのか・・・と思う。
知ってはいたが、少しカルチャーショックを受ける。
最近は日本人も働かないのがトレンドだというが、それとは根本的に違う。
階級というものが、歴然と存在するのだ。

では貴族は遊んで暮らしているのかというと、そういうわけではない。
彼らには彼らの社会の厳しい戦いがあり、果たさなければならない義務がある。
また使われている使用人たちにも、厳然とした階級があり、それは貴族よりもむしろ厳しい。

どちらもそれぞれの社会で、必死に生きていかなければならないのだ。
かつては日本もそうだったのだろう。
しかし現代の日本からすると、それはかけ離れた世界に感じる。

英国紳士というのは、ファッション界でひとつのキーワードとして使われている。
英国調であることが謳われた高級な靴や衣服が売られている。
しかしここに出てくる英国紳士たちは、日本人が猿真似していると知ったら、失笑・・いや、断固として拒絶するのではないか。
それなのに彼らを追いかけることに、何とも空しさを感じざるを得ない。
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