忌わしい記憶


SIGMA DP2 Merrill

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小学生の頃、扁桃腺の手術を受けた。
小さい頃の僕は、すぐに高熱を出し、体温が40度を超えることもしばしばあった。
狼狽した母親が、ぐんぐんと上がっていく体温計を思わず手で押さえたという。
高熱で腎臓がやられる可能性があったため、扁桃腺の除去手術を受けることになったのだ。

広尾の日赤の小児病棟に入院した。
囲まれた中庭にある、そこだけ別世界のような、木造の古い平屋建ての建物であった。
何ともいえない異様な雰囲気が漂っていたが、かつては伝染病患者の隔離病棟として使われていたと聞いて納得した。

野戦病院のように、横一列に並べられたベッドの上で生活しながら、子供たちは自分の手術の順番を待っていた。
まるで死刑執行を待つ囚人のようで、部屋の中では独特の人間関係が形成された。
手術が終わりぐったりとした仲間が、台に乗せられたまま帰ってくると、子供たちははしゃぐのを止め、室内が静まり返った。
次は自分の番か・・という恐怖に、みな複雑な表情をしている。

この手術というのが、非常に恐ろしいものであった。
部分麻酔だけで口からメスを突っ込まれる。
椅子に座らされたまま、喉から扁桃腺を切り取られるのだ。
僕には拷問に近い暴力的な行為に思えた。

手術の時、僕は泣きわめいて大暴れした。
普通の子供なら、程なく観念してしまうのだろうが、僕の抵抗は尋常ではなかった。
口にメスを突っ込まれるなんて、とても受け入れられる行為ではなかった。
大人たちから静かにしなさいと怒鳴られても、はいと素直に聞くわけにはいかない。
最後まで諦めることなく、暴れまくった。

先生や看護婦さん数人が集り、みなで僕の四肢や首を掴み、椅子に固定しようとした。
暴れる僕を、大人たちが必死になって押さえつけた。
長い時間をかけて、僕の口をこじ開けた。
そしてメスを突っ込み、ついに扁桃腺を切除した。
口から大量の血とともに肉の塊が引っ張りだされたのを覚えている。
暴れる相手に対し、それだけのことをしようというだから、さぞや大変だったろうと思う。

後から聞いた話では、日赤はじまって以来の大暴れをした子供だと、院内で噂になったという。
顔に血の付いた包帯をぐるぐると巻かれて、身動きできない状態で病室に運ばれてきた僕を見て、他の子供たちは恐怖に凍りついた。
暴れた代償が、交通事故の重症患者のような、包帯まみれの姿であった。
僕は話すことも出来ないまま、包帯の隙間から、彼らのひきつった表情を見ていた。

先日喉が痛くて、いつもの医院に行った。
先生は僕の体温を測定した後、木製のへらで舌を押さえて喉を見た。
「ああ、腫れているね」
僕は、子供の頃扁桃腺の手術を受けたことを話した。

「それで熱が出ないんだね。これだけ赤ければ、普通高熱が出ているよ」
と先生が言われた。
そういえば、僕は自分が滅多に高熱が出ない体質であることに気付いた。
たぶんあの手術以降だ。
風邪をひいてフラフラしていても、測ってみると大した熱ではない。

「その手術を受けてよかったと思うよ」
先生にそう言われて、僕ははっとなった。
あの手術の記憶は、僕にとってずっと忌わしいものであった。
しかし、もしかしたら僕はあの手術に救われたのかもしれない。
40年以上経って、初めてそう気付いた。
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