未来予想図


SIGMA DP2

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ここに来られる方たちは、日常生活の中に、当然パソコンを取り込まれているであろう。
そしてインターネットから得られる情報を、それなりに生活に生かしているはずだ。
それは現代人の生活のごく普通の姿でもある。

20年ほど前のことを考えると、インターネットも携帯電話も一般的ではなかった。
そう考えると、一見大きく変わっていないように見える我々の生活も、実質面でそうとうの進化を遂げているのがわかる。

一方で、インターネットとは無縁の生活を通している人たちもいる。
そこから得られる情報から、金銭的にも相当の恩恵を受けられるにもかかわらず、頑なにインターネットを拒んでいる。
大半は、高齢であるために、新しいものを受け入れることが出来なくなった人たちだ。
やってはみたいが、覚えるのに時間がかかるし、馬鹿にしたような態度の子供から教わるのが我慢ならない・・というパターンも多いだろう。

それに対し、キーボードをパチパチと高速で打つ若者たちは、「ジジィは覚えがわりぃーからよ」とか言って、軽蔑したような目で見る。
その言葉遣いの悪さも、ある意味進化である。
以前なら、ある水準の教育を受けていれば、そういう下品な言葉は使わなかった。
記憶中心の学校教育ばかりで、家庭教育がおろそかになり、教育と品性がイコールでなくなっているのだろう。

ところが若者というのは、いつの世も浅はかなもので、次に自分たちがその立場に追いやられる・・ということに考えが及ばない。
パソコンをこれだけ自由に使いこなしているのだから、新しい機械が出てもちゃんと適応できる・・と思い込んでいる。
しかしそう思ったら大間違い、改革というものは、いつの世も古い者を追いやる形で出現するのだ。

恐らく未来のコンピューターは、物理的に人間の体と直結して、脳の内部とリンクして動くものになる。
つまり頭の中で考えていることと、コンピュータのプログラムが同期して、すべてがあからさまな中で動くようになる。
言いかえると「隠し事」が出来なくなるのだ。

心の中で考えていることはプライベートなものだから、見えないようにすればいい・・と思うかもしれないが、未来の人間は、自分の意思でそのコントロールが出来るようになるはずだ。
つまり、考えてはいけないことは、シャッターを閉めて考えなくなるのだ。
目の前をスタイルのいい女性が通っても、「お!」なんて反応することはなくなる。

自分の心を自由にコントロールするなんて、そんなこと、今の人間に出来るだろうか?
出来るわけがない。
その時点で、嫉妬したり恨んだり妬んだりする旧世代の人間は、原始人と変わらなくなる。

恐らく新しい世代に対して、あいつらは人間ではない、機械と同じではないか、とか叫んで、新しいコンピュータを拒絶するだろう。
しかしその頃には人間の脳の動きがすべて解明され、機械と何ら変わらないことが判明しており、脳内リンクコンピュータは若者たちにすんなりと受け入れられる。
そして生まれてくる子供たちも、それに適応したニュータイプになるはずである。

旧世代の人間は、雑念の塊であり、余計なことばかり考えて、脳内リンクコンピューターには適応できない。
作動させても、受付の女の子が可愛かったりすると、いきなり暴走して誤動作を始めてしまう。
何度言ってもうまくコントロールできない哀れな老人に対し、ニュータイプの若者たちは、表立って感情を表すこともなく、ただ心底軽蔑した目で見るだけだろう。

そしてその頃には、さらに言葉が汚く進化していて、「このクソエロジジィの死に損ないが、はやくくたばって墓石の下に入っちまいな」とにこやかな顔で言うのだ。
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