落語家


SIGMA DP2

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三遊亭円楽師匠が亡くなられた。
落語界のことは分からなくても、「笑点」の「円楽さん」は誰にとってもお馴染みであろう。
僕の子供の頃は、三波伸介氏司会の大喜利のコーナーに、大物がずらっと並ぶ、まさに全盛期であった。
中でも円楽さん、歌丸さん、小円遊さんの受け答えをワクワクしながら聞いた。

落語を聞きに行ったことのほとんどない僕であるが、学生時代に一度だけ行ったことがある。
当時すでに亡くなられていた圓生師匠の、息子さんと同級生であった叔父が、招待されているからいっしょに行かないかと誘ってくれたのだ。
歌舞伎座で行われた特別な講演で、落語界の大物がずらっと並んでいた。

何の知識も無い僕でさえ、どの顔も見覚えのあるメンバーであった。
その時に初めて円楽さんを見た。
休憩時間にも歌舞伎座の廊下で、円楽さんが中心になって、お客さん向けのサービスが催された。

ところが、その日の円楽さんの落語は、なぜか今ひとつ冴えが無かった。
小さん師匠などは、安定した円熟の落語を聞かせてくれたが、円楽さんは最後までリズムを掴めない感じであった。
「円楽さんは一体どうしたのでしょうね」などと叔父と話したのを覚えている。

本当かどうかはわからないが、後から、どうも大舞台に緊張してあがってしまったらしい・・という噂を聞いた。
円楽さんクラスでもそんなことがあるのか・・・
自分自身にすべてがかかっている芸の厳しさを感じた。
その後、いや恐らくその時も、円楽さんが落語界で大変な最中にあった事は、ずっと後になって知った。

勤めに出てから、有楽町にあった昔のニッポン放送のビルの前で、歌丸師匠とすれ違ったことがある。
ベージュのコートを着てカバンを手に、夜の暗闇の中をひとり歩いて来られる師匠は、テレビの印象とまったく異なっていた。
「あ、歌丸さんだ・・」と思ったが、すれ違いざまに僕のことをチラリと見られたその目の射るような鋭さに驚いた。
その威厳と威圧感は、まさに厳しい世界に身を置いている人のものであった。

同じ頃、上司に連れられて夜の街に飲みに出かけた時も、何度か落語家の方と遭遇したが、どの方もテレビで見た印象とまったく異なる雰囲気であった。
どちらかというとナンセンスな笑いと笑顔でお客を湧かせていた某氏も、ズラッと取り巻きの弟子が周りを囲み、その中心で別人のような厳しい目つきで周囲を睨んでいた。
気軽に声をかければ応えてくれる様な雰囲気ではなかった。
強烈な上下関係の存在を窺わせ、厳しい世界であることが伝わってきた。
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