渡辺竜王が森内9段をストレートで下し、6連覇を達成した。森内は受けに定評あるカウンターパンチャーだが、竜王戦では〝鉄板流〟のイメージと異なり、攻め急いだ感もあった。
将棋については近日中に稿を改めることにする。今回は将棋同様、天才たちが格闘する分野について記したい。
数学に題材を採ったドキュメンタリーと映画を続けて見た。「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い」(NHK総合)と「博士の愛した数式」(同衛星2=06年/小泉堯史)である。
「魔性の難問」では、天才たちを狂気の淵に追い込んだリーマン予想を取り上げていた。素数の連なりは、微小な原子と広大な宇宙の構造に通じているという。キリスト教的発想といえるだろうが、<リーマン予想の証明=神の領域への接近>が数学者と物理学者の共通認識になっている。
四角張ったイメージがある数学だが、「博士の愛した数式」は優しい気持ちになれる作品だった。高校教師の√(ルート、吉岡秀隆)が教壇で自己紹介する場面から物語は始まる。
なぜ自分は数学教師になったのか、なぜ√と呼ばれるようになったのか……。生い立ちを交えて√は生徒たちに語り始める。回想シーンがメーンだが、現在に時折ワープして、√が専門用語(素数、友愛数、完全数、虚数、オイラーの公式etc)を解説してくれるから、見る側は困らない。
シングルマザーの√の母(深津絵里)が、10人目の家政婦として博士(寺尾聰)の元を訪れる。
母「こんにちは、新しい家政婦です」
博士「君の靴のサイズはいくつかね」
母「24です」
博士「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」
こんな会話が繰り返される。10年前の交通事故の後遺症で、博士の記憶は80分しかもたないからだ。
「数字と愛を交わしている時、ズカズカ踏み込んでくるなんて、トイレを覗くより失礼じゃないか」……。博士は献立について尋ねた母を怒鳴ったが、数字についての会話、美しい自然との触れ合いで、二人は次第に打ち解けていく。
「なかなか賢い心が詰まっていそうだ。いいかい、君は√だ。どんな数字でも嫌がらずにかくまってやる寛大な記号だよ」(√との出会いのシーン)
「物質にも自然現象にも感情にも左右されない永遠の真実は、目に見えないのだよ。目に見えない世界が、目に見える世界を支えているんだ。肝心なことは、心で見なくっちゃ」(病院で母に)
ちりばめられた博士の含蓄ある台詞の数々は、柔らかなナイフになって芯に迫ってくる。
√と同じく虎党で江夏の大ファンである博士は、記録についての薀蓄を幾つも披瀝する。江夏は博士の時間が止まった75年オフに南海にトレードされ、√と出会った85年の前年に引退していた。その間に生まれ、成長したのが10歳の√と、本作は野球を巧みにストーリーに組み込んでいる。
博士と義姉(浅丘ルリ子)が交通事故に遭った経緯、罪の意識におののく宿命的な愛が並行して描かれている。<博士の愛した数式>に込められた意味を明示するのも√の役割だ。
博士は少年の心を持つ初老の男で、√への接し方に父性と母性が程よく混ざり合っていた。本作は<性>と<血>に囚われない新しい家族の形を追求した作品ともいえる。母を演じた深津は、少女のしなやかさと成熟した女性の包容力を合わせ持っていた。これほど魅力的な女優に、どうしてこれまで気付かなかったのだろう。
最後に、「博士の愛した数式」にちなんだジャパンカップの予想を。
江夏の背番号で2番目に小さい完全数でもある「28」から「2+8」で◎⑩オウケンブルースリ、ケンブリッジに留学した博士にちなんで○⑯コンデュイット(英国馬)、最も小さい完全数「6」から▲⑥レッドディザイア、博士いわく最も美しい素数で村山の背番号でもある「11」から△⑪マーシュサイド……。
4頭ボックスの馬連、⑩1頭軸の3連単を買うつもりだが、これで当たれば苦労はない。
将棋については近日中に稿を改めることにする。今回は将棋同様、天才たちが格闘する分野について記したい。
数学に題材を採ったドキュメンタリーと映画を続けて見た。「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い」(NHK総合)と「博士の愛した数式」(同衛星2=06年/小泉堯史)である。
「魔性の難問」では、天才たちを狂気の淵に追い込んだリーマン予想を取り上げていた。素数の連なりは、微小な原子と広大な宇宙の構造に通じているという。キリスト教的発想といえるだろうが、<リーマン予想の証明=神の領域への接近>が数学者と物理学者の共通認識になっている。
四角張ったイメージがある数学だが、「博士の愛した数式」は優しい気持ちになれる作品だった。高校教師の√(ルート、吉岡秀隆)が教壇で自己紹介する場面から物語は始まる。
なぜ自分は数学教師になったのか、なぜ√と呼ばれるようになったのか……。生い立ちを交えて√は生徒たちに語り始める。回想シーンがメーンだが、現在に時折ワープして、√が専門用語(素数、友愛数、完全数、虚数、オイラーの公式etc)を解説してくれるから、見る側は困らない。
シングルマザーの√の母(深津絵里)が、10人目の家政婦として博士(寺尾聰)の元を訪れる。
母「こんにちは、新しい家政婦です」
博士「君の靴のサイズはいくつかね」
母「24です」
博士「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」
こんな会話が繰り返される。10年前の交通事故の後遺症で、博士の記憶は80分しかもたないからだ。
「数字と愛を交わしている時、ズカズカ踏み込んでくるなんて、トイレを覗くより失礼じゃないか」……。博士は献立について尋ねた母を怒鳴ったが、数字についての会話、美しい自然との触れ合いで、二人は次第に打ち解けていく。
「なかなか賢い心が詰まっていそうだ。いいかい、君は√だ。どんな数字でも嫌がらずにかくまってやる寛大な記号だよ」(√との出会いのシーン)
「物質にも自然現象にも感情にも左右されない永遠の真実は、目に見えないのだよ。目に見えない世界が、目に見える世界を支えているんだ。肝心なことは、心で見なくっちゃ」(病院で母に)
ちりばめられた博士の含蓄ある台詞の数々は、柔らかなナイフになって芯に迫ってくる。
√と同じく虎党で江夏の大ファンである博士は、記録についての薀蓄を幾つも披瀝する。江夏は博士の時間が止まった75年オフに南海にトレードされ、√と出会った85年の前年に引退していた。その間に生まれ、成長したのが10歳の√と、本作は野球を巧みにストーリーに組み込んでいる。
博士と義姉(浅丘ルリ子)が交通事故に遭った経緯、罪の意識におののく宿命的な愛が並行して描かれている。<博士の愛した数式>に込められた意味を明示するのも√の役割だ。
博士は少年の心を持つ初老の男で、√への接し方に父性と母性が程よく混ざり合っていた。本作は<性>と<血>に囚われない新しい家族の形を追求した作品ともいえる。母を演じた深津は、少女のしなやかさと成熟した女性の包容力を合わせ持っていた。これほど魅力的な女優に、どうしてこれまで気付かなかったのだろう。
最後に、「博士の愛した数式」にちなんだジャパンカップの予想を。
江夏の背番号で2番目に小さい完全数でもある「28」から「2+8」で◎⑩オウケンブルースリ、ケンブリッジに留学した博士にちなんで○⑯コンデュイット(英国馬)、最も小さい完全数「6」から▲⑥レッドディザイア、博士いわく最も美しい素数で村山の背番号でもある「11」から△⑪マーシュサイド……。
4頭ボックスの馬連、⑩1頭軸の3連単を買うつもりだが、これで当たれば苦労はない。
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