酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

オースチンという稀有な毒物

2008-06-20 01:30:43 | スポーツ
 10年前、WWF(現WWE)を発見した。部屋に遊びに来た会社の後輩がCATVにチャンネルを合わせるや、破裂音とともに坊主頭の男が登場する。会場を狂騒の坩堝にした男こそ、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンだった。

 WWE以前のレア映像も収録した3枚組DVD「レガシー・オブ・ストーン・コールド」を先日購入した。充実した内容だったが、違和感は拭えなかった。オースチンの<本質=毒>に照準を合わせていなかったからである。

 オースチンはテクニックと順応性を併せ持つレスラーで、初来日時(92年)には新日本プロレス上層部から高評価を受けたが、自己アピールが苦手だった。WWEから人気レスラーを次々に引き抜いたWCWは、オースチンを戦力外と見做して解雇を通告する。

 オースチンはECWで浮上のきっかけを掴んだ。サンドマンにヒントを得て、<ビール大好きのブルーカラー>のキャラを確立する。「フレアーもホーガンもWCWも、俺がまとめて吹っ飛ばしてやる」のマイクパフォーマンスは負け犬の遠吠えにしか聞こえなかったが、数年後に現実となった。

 WWE入団後、オースチンは青大将から”ラトルスネイク”(ガラガラ蛇)に変身する。蛇を抱えてリングに登場するジェイク・ロバーツは、即興の「オースチン3・16」に牙を抜かれ、零落する。WCW時代からの盟友ブライアン・ピルマンは、オースチンの毒にあたり、抗争展開中に薬物死(自殺とも)した。

 受け身が取れないパイルドライバーでオースチンを長期欠場に追い込んだオーエン・ハートは99年、PPVの入場時に天井から転落死した。変死したエディ・ゲレロも一時期、オースチンの抗争相手だった。

 当時WWEのエースだったブレット・ハート(オーエンの兄)もまた、オースチンの毒に痺れた一人だと思う。WCW移籍をめぐる経緯を描いたドキュメンタリー「レスリング・ウィズ・シャドウズ」(98年)には、オースチンに熱狂する観衆を不安げに眺めるブレットが映し出されていた。

 実働13年、メーンイベンターとしての活躍は5年足らずのオースチンだが、短期間で業界地図を塗り替えた。レスラーを掌の上で転がすビンス・マクマホン(WWE会長)は、恩人オースチンについて「あの男だけは別格」と語っている。オースチンがいなければ、WWEはテッド・ターナー率いるWCWに潰されていたかもしれない。

 プロレス団体は保守的になりがちだが、草創期や存亡の危機では無手勝流になる。俺は幸いにも、プロレスの2大ピークを体感することができた。一つはオースチンを主役に据えたWWEのアティテュード路線であり、もう一つは過激な仕掛けを連発した70年代の新日本プロレスだ。

 猪木とオースチンは、他のレスラーを影にする光を放射していた。俺にとってこの2人は、レスラーの域を超えた稀有な表現者である。



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