酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

転換、偽装、酷似、そして「複製された男」~サラマーゴの深淵な世界

2013-11-07 23:49:52 | 読書
 仕事先でYさんと話していたら、脱原発の旗幟を鮮明にしている小泉元首相の動向が話題になった。「バックにいるのはトヨタ?」……。俺が小泉氏を信じていないことを察知したYさんは、別稿のコメント欄に講演の映像を貼り付けてくれた。小泉氏の転換はどうやら本気らしい。

 阪急阪神ホテルに端を発し、高島屋、ホテル京阪、大丸松坂屋と食材偽装、誤表記が次々に発覚している。一連の動きに共通するのが、ブラック企業の振る舞いだ。嘘をつこうが、働く者を虫けらの如く扱おうが、儲かれば、株価が上がれば、すべてが許される……。それが現在日本の姿なのだ。「プロテスタントのストイックな精神が育んだ」と習った資本主義だが、良心と倫理をとうの昔に失くし、人を貪り尽くす醜悪な怪物になっている。

 大学時代、下宿近くで驚くべき体験をした。見知らぬ人が頻繁に声を掛けてくる。やり過ごすと怪訝な表情を浮かべるのが不思議だったが、やがて真相が明らかになる。定食屋で「今日の戦果、どうだった」と尋ねられて絶句していると、「さっき、○○○○(パチンコ屋)にいたでしょう」と追い打ちを掛けてきた。俺に酷似した人間が江古田界隈を徘徊していたのだ。

 彼に案内してもらって〝俺もどき〟と会うのも面白いと考えたが、やめた。俺は、そして〝俺もどき〟も、親近感より嫌悪感を覚えるだろう。最悪の場合、殺意さえ湧いたかもしれない。遭遇するのが嫌で、引っ越そうと思ったが、〝俺もどき〟が先んじたようだ。暫くして声を掛けられることはなくなった。

 自分に酷似している者に気付いた男と、その後の顛末を描いた小説を読了した。ジョゼ・サラマーゴ著「複製された男」(03年)である。60代になって本格的に執筆に取り組んだサラマーゴは、76歳でノーベル文学賞を受賞する。遅咲きを好む俺が最大の敬意を払うポルトガルの作家で、読んだのは「白の闇」(95年)に次ぎ2作目だった。

 たったひとり(歯科医の妻)を除き、人々が視力を失くすという設定の「白の闇」は、管理社会への警鐘であり、「ペスト」(カミュ)への半世紀後のアンサーと捉えることも出来る。災禍の発端と終焉は唐突だったが、科学的な原因が特定されるわけではない。寓話より生々しく、吐き気を催すようなリアリティーに満ちた作品だった。

 「複製された男」もある意味、SF的である。歴史教師のテルトゥリアーノ・マッシモ・アフォンソ(以下マッシモ)が友人の数学教師に薦められた映画のビデオをレンタルする場面から物語は始まる。自分とそっくりの脇役に驚愕したマッシモは、その役者が出演する作品のビデオを数本見た結果、自分もしくは役者が複製であるという結論に達する。

 マッシモは37歳のバツイチだ。言葉を交わすのは友人の数学教師、車で数時間ほどの場所に暮らしている母親、恋人のマリア(銀行員)、厚意で部屋を掃除してくれる同じアパートの老女ぐらいだ。読書を軸に据えた平穏な日々に亀裂が生じたが、マッシモは〝もどき〟が存在する意味を、哲学的にあれこれ思索する。

 行動に移る際も慎重で、マリアの名を騙って制作会社にファンレターめいた手紙を送り、〝もどき〟の本名と住所を知る。彼の名はアントニオ・クラーロで、外見だけでなく声の区別もつかない。SFなら、DNAとかクローン人間といった要素が組み込まれていくだろう。だが、本作では技術的、科学的な説明は一切省略されている。

 マッシモとアントニオの主観が交錯する後半になって、ようやく読むテンポもアップしてくる。マッシモは無名のまま一生を終えるだろうが、アントニオは知名度を上げる可能性がある。そうなれば、2人は世界中の耳目を集めること請け合いだが、サラマーゴはエンターテインメントの対極に位置する作家だ。寓話をいったん閉じ、ピリオドが打たれた後を暗示する。

 観念的で深淵な、言い換えれば読みづらい作品だが、人間共通の俗っぽさも描いている。自分と瓜二つの人間に魅力的な恋人もしくは配偶者がいたら、あなたはどうする……。答えは聞くまでもないし、マッシモとアントニオは暗黙のうちに実行する。そして、真実の愛が、悲劇的な結末を導くのだ。

 サラマーゴは特殊な状況を用意し、人間の本質を追求する作家だ。紀伊國屋のウェブストアでは他の作品も扱っている。読むのは先になるだろうが、近いうちに購入するつもりだ。
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