酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「おみおくりの作法」~ささやかな死を写す水彩画

2015-01-31 03:57:04 | 映画、ドラマ
 前稿の冒頭で記したが、シャルリー・エブド紙襲撃に抗議するデモの光景が、加工されて世界に配信された。首脳たちは民衆とともに行進しなかったという真実を、俺は想田和弘氏のウェブマガジンで知った。森達也氏がこの件について、29日付朝日新聞朝刊に寄稿している。

 世界の歪んだ構図を端的に示すフェイクを深刻に受け止めている人は少ない。感性が鈍いから? それとも問題意識が低いから? 対テロへの同調圧力が強まる中、森氏は<立ち位置の違いが受け取り方の違いになって表れている>と記していた。俺は想田、森両氏と近い位置に立っているが、そこはきっと人影もまばらな曠野だろう。

 権力は人々の立ち位置を誘導する。マインドコントロールから逃れるためには、前稿で取り上げたピーター・バラカン氏が持つ複眼とバランス感覚が必要だ。ポーランド系ユダヤ人のバラカン氏は親族を収容所で亡くしている。であるにもかかわらず、いや、だからこそバラカン氏は、シャルリー・エブド紙の風刺画掲載に異を唱えたのだ。

 イスラム国に囚われた湯川さんが殺害され、後藤さんの生死が世界の耳目を集めている。2人のケースは特殊だが、死はしめやかに、ひっそりと訪れる。無名の人の最期を淡々と描く「おみおくりの作法」(13年、ウベルト・パゾリーニ監督/英伊合作)をシネスイッチ銀座で見た。公開直後ゆえ、ストーリーの紹介は最小限にとどめたい。

 主人公のジョン・メイ(エディ・マーサン)はロンドン・ケニントン地区の民生係で、行旅死亡人、身寄りのない死者に真摯に向き合っている。故人の人生を知るために旅をし、宗教を特定する。弔辞を書いてBGMを選び、ただひとり葬儀に参列する。情熱の源は自身の孤独で、死者たちこそがジョンの友達だった。

 ジョンの日常は整頓された部屋そのままに無駄がなく、食事や服装も決まっている。慎重に道路を横断するシーンの繰り返しが、結末に至る伏線になっていた。ジョンは突然、部署統廃合を理由に解雇を伝えられる。クビを言い渡した上司役は、「ブロードチャーチ~殺意の町」で殺害された少年の父親を演じたアンドリュー・バカンだった。

 ジョンの最後の仕事は、自宅近くで亡くなったビリー・ストークの人生を追うことだった。ビリーはアルコール中毒で、遺体が発見された時、夥しい腐臭を放っていた。ジョンはアルバムに残された少女の写真を手掛かりに、ビリーの足跡を辿っていく。

 抑制されたジョンの生き方と対照的に、激情家のビリーは煌めきと暗転を繰り返しつつ転落していった。波瀾万丈憧れたのか、ホームレスと酒を回し飲みしてビリーの素顔に迫るなど、ジョンはささやかな逸脱を楽しんでいた。弔いから解放されたモノトーンの人生に、仄かな明かりが灯る。

 ジョンの心象風景を表現するように、背景の色彩が赤みを増していく。俺はハリウッド的な結末に期待した。ささやかな幸せを手に入れ、ついでに膨大な知識を生かしてクイズ王になるとか……。待ち受けていたのは哀切な予定調和で、生きる意味を問い、生者と死者の繋がりを描くラストに、鼻をすする音が周囲から洩れてきた。俺もまた亡き妹、施設で人生を終える母に思いを馳せ、涙腺が緩んだ。

 原題の「スティル・ライフ」は静物画という意味らしい。本作はささやかな死を写す、ロマンチックで心に染みる水彩画だった。別稿(1月17日)で絶賛した「トラッシュ!」とともに、早くも今年のベストワン候補である。
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