酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ラッシュ」~対照的な個性の爽やかな激突

2014-03-18 23:31:04 | 映画、ドラマ
 「人間は恋と革命のために生まれてきた」と太宰治は「斜陽」に記したが、恋も革命(≒闘い)も、自分が関わると苦しいが、安全な場所で眺めると楽しいものだ。三角関係の噂をする時、誰しも眉を顰めつつ、口元を綻ばせている。日本人は反抗の声を上げないが、ウクライナやベネズエラで起きていることについて、もっともらしい意見を述べる。

 最も人々を熱狂させる闘いがスポーツだ。とはいえ、政治は暗闘だが、スポーツはフェア……なんていうのは幻想に過ぎない。歴代のIOC会長の経歴を見ても、ブランデージは親ナチスで、サマランチはフランコの下でカタロニアを弾圧した。国単位で見ても、独裁政権に加担した者がスポーツ界を牛耳っているケースが多い。共通点は利権に目ざといことで、良心や倫理と無縁の連中が主導するのがオリンピックなのだ。

 F1も政治が蠢く世界だが、ジェームス・ハントとニキ・ラウダのライバル関係は、例外といえるほど爽やかなものだった。両者の激突を描いた英米合作の「ラッシュ/プライドと友情」(13年、ロン・ハワード監督)を有楽町で見た。ハントをクリス・ヘムズワース、ラウダをダニエル・ブリュールが好演じ、2人の主観が交錯する形で物語が進行する。免許さえない俺だが、映像と音響が織り成す臨場感たっぷりのシーンに魅入ってしまった。

 F1はセナとプロストが覇を競った頃にチャンネルを合わせたぐらいで、基礎知識はない。スカパー!で放映された「アイルトン・セナ~音速の彼方へ」(10年)を予習として見ようと思ったが、順番が逆になってしまう。舞台となった1976年当時、F1はスポーツというより死に近い危険なサーカスだった。死亡確率は2割弱で、ハントは本作で、マシンを「棺桶」と揶揄していた。

 ハントとラウダの共通点は才能と野心、そして本音を隠さないことだった。恋人の自殺が話題になっているミック・ジャガーを筆頭に、ロッカーやスポーツ選手にはプレーボーイが多いが、群を抜いていたのがハントという。あきれ果てた妻スージーに「浮気だけじゃなく、お酒にクスリまで」と三行半を突き付けられたハントだが、放埓は死への恐怖を和らげるためだったのか。レース直前の嘔吐に繊細さが窺われる。

 周囲に愛されたハントと対照的に、仲間内で嫌われていたのが〝現実主義者〟ラウダだった。目標を掲げて自分を売り込み、メカにも強い。他のレーサーと異質だったラウダの影響を受けたのがアラン・プロストだった。本作はハントとラウダの軋轢に軸を置いているが、実際は親友同士で、下積み時代(F3)から交遊があった。ラウダに礼を失する質問をした記者を、ハントがボコボコにするシーンがある。制作サイドのフィクションというが、ハントとラウダの絆の強さを示す印象的なシーンだった。

 松坂大輔や北島康介は10代半ば、傑出した選手ではなかったという。「あいつには絶対勝ちたい」と思える自分より上の選手が身近にいて、彼らを何とか超えた後に、次の壁が立ちはだかる。一対一を勝ち抜いていく過程で、彼らはぬきんでた存在になった。ハントとラウダも同様で、駆け出しの頃から「君には勝ちたい」とライバル意識を持ち続け、ともに世界王者になる。

 頂点を極めた後も好対照といえる。ハントは「自分の能力を証明できたからいい」と3年後に引退したが、ラウダは常に上を目指し、通算3度の王者になる。ハントは93年、45歳で亡くなったが、ラウダは健在で、ブリュールの役作りなど本作に全面的に協力した。

 ハイライトはラウダのドイツGPでの大事故と奇跡的な復帰、そして最終戦になった日本GPだった。危険な状況でのレース開催に異議を唱えるラウダと日本GPでの決断、そしてハントの神業的なハンドルさばき……。両者の心理が白熱したレース展開の中で浮き彫りになる。完成度が高い本作がアカデミー作品賞にノミネートされなかったのは、主催者が好む<社会性>に欠けていたからだろう。

 最後に、一対一の闘いの最たるものといえる将棋のニュースを……。プロ棋士とコンピューターが対決する電王戦第1局で21歳の俊英、菅井竜也五段が敗北を喫した。本稿のテーマは<ライバル>だったが、相手がコンピューターだと、どのような気分なのだろう。残った4人の棋士たちは今、尋常ではないプレッシャーに襲われているはずだ。
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