弁理士の日々

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国連事務次長・中満泉さん

2020-06-13 12:05:06 | 歴史・社会
5月18日から22日までの日経新聞では、3人の日本人女性の連載記事を興味深く読みました。
一人は、朝刊・私の履歴書での岸惠子さん(女優、87歳)、こちらは5月いっぱいの連載の途中です。
二人目は、夕刊・人間発見での中満泉さん(国連事務次長、56歳)、三人目は夕刊・こころの玉手箱での早間玲子さん(建築家、87歳)です。

ここではまず、三人の中の中満泉さんについてです。
ウィキペディアでは以下のように紹介されています。
1963年生まれ
フェリス女学院高等学校
1987年早稲田大学法学部卒業。
1989年にアメリカ合衆国ジョージタウン大学外交大学院修士課程を修了
1989年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入所
1997年にスウェーデン人の外交官と結婚
2005年から2007年まで一橋大学大学院法学研究科教授
2008年国際連合事務局平和維持活動局政策・評価・訓練部長
2012年から2014年10月まで国際連合事務局平和維持活動(PKO)局アジア・中東部上級部長
2014年UNDPの総裁補兼初代危機対応局局長
2017年国連事務次長(軍縮担当上級代表)に指名
2018年5月、フォーチュン誌発表の「世界の最も偉大なリーダー50人」に選ばれる。

中学から通ったフェリス女学院には大きな影響を受けました。当時からリベラルな雰囲気だったそうです。
留学を志し、早稲田大学に入学した上で、21歳の時に交換留学生としてミシガン州のホープカレッジで学びました。
大学卒業後、ジョージタウン大の大学院に進学します。大学院のある科目で、試験も論文もA評価だったのに最終成績はCでした。教授に尋ねると「発言しなかったからだ。発言しないということは、参加していないということだ」と言われ、ハッとしました。後の国連の仕事でも生きているとのことです。

89年に大学院を修了し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入所しました。クルド難民危機の対応に派遣され、状況把握のため、地図と簡単な食料をもって身一つでトルコとイラクの国境地帯に出向きました。
中泉さんが師と仰ぐ緒方貞子さんとの出会いは、緒方さんが1991年に国連難民高等弁務官に着任された直後のトルコ視察でした。徹底した現場主義者だった緒方さんの施策に、駆け出しの職員として深く関われたことを心から幸福に思うと言われています。

サラエボへは中泉さんが女性として初めての派遣でした。紛争地の現場は精神的にも肉体的にも過酷でした。常に襲撃される緊張の中にあり、就寝時も軍事用ブーツを履いたままです。2年半経過後に突然倒れ、PTSDと診断される事象もありました。

ニューヨークの国連本部に移り、夫となるスウェーデンの外交官と出会いました。何回か食事するうちに、直感的にこの人と結婚すると思ったそうです。
1998年、まだ婚約者だった夫になる人がスウェーデンに戻ることになり、国連を離れ、スウェーデンに渡りました。周囲は「もったいない」と反対しました。しかし中満さんは、異なる環境や仕事への挑戦は新しい視点を保つのに重要だと思っていました。むしろ国連を離れなければ、今の役職(国連事務次長)には就けなかった、と思われています。
夫がスウェーデンにいる間は国際機関で働き、夫が在日スウェーデン大使館勤務となると日本の大学の教壇に立つなどしました。スウェーデンで長女、日本で次女を産みました。夫がスウェーデン人であり、子育ては完璧に夫と分業制を敷いたとのことです。

夫の任期満了で次の仕事を考えたとき、やはり国連に戻りたくなりました。PKO局のポストが空いており、2008年に応募して採用されました。
2017年5月に現ポスト(国連事務次長)に就任し、一度も担当したことのない軍縮を任されました。就任直後のグテレス国連事務総長から「専門家である必要はなく、新しい視点を持ち込んでほしい」との理由で打診されました。

このような日本人女性が、現在も世界の第一線で活躍していることを誇りに思います。
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