弁理士の日々

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内閣人事局の功罪

2020-05-31 11:14:16 | 歴史・社会
日本の政治機構は、教科書的には「議院内閣制」と呼ばれています。内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で指名されます。内閣総理大臣が国務大臣を指名し、内閣総理大臣と国務大臣の合議制で内閣が運営されます。各省庁の官僚は、それぞれの長である国務大臣の指揮命令により、内閣の政策を実行していくというものです。

ところが日本では長い間、議院内閣制ではなく、「官僚内閣制」である、といわれてきました。各省庁の官僚は、自分の省益を第一に考え、省益と衝突する政策については、内閣から指示されてもそっぽを向く、というものです。
官僚が省庁単位で自分勝手に動く理由は、官僚の人事権を各省庁の事務方トップ(事務次官)が握っていたためです。
このブログの『高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(4) 2009-08-24』では以下のように論じました。
『・大臣には人事権がない
現状では大臣の人事権はすごく弱くて、事務次官がつくった人事リストをただ承認するだけ。
竹中さんが総務大臣になったときも、事務次官がもってくる人事リストを何度つきかえしても、同じ幹部候補のメンバーを担当だけ入れ替えてもってくるから、なかなか手こずった。
内閣人事庁ができると、こういったバカげたことがなくなる。
大臣が幹部を決めるときには、今までの事務次官がつくったリストに加えて、内閣人事庁が推薦するリストも参照できるようにする。
官僚にとっては、痛いところを突かれたと言ったところでしょう。自分たちが一手に握っていた人事権が弱まり、外部から人材が流入してくれば、営々と築き上げた昇進ピラミッドがぶっ壊れるに決まっている。既得権を失いたくない幹部や幹部昇進が近い上の世代ほど、なにがなんでも大反対するわけだ。』

日本特有の「官僚内閣制」を改め、何とか本来の「議院内閣制」を構築しよう、ということで、紆余曲折を経て、「内閣人事局」が誕生しました。
ところが、内閣人事局ができあがってみると、その結果、ちょうど良い「議院内閣制」が生じるのではなく、逆に振れた「官邸忖度内閣制」が生まれてしまったようです。
2年前のブログ記事『内閣人事局はどうなる? 2018-03-25』で論じました。
その当時、「内閣人事局」の評判が悪くなっていました。高級官僚が安倍総理と総理夫人に「忖度」しているのは、内閣人事局に人事を握られているからだと。
上に述べたように、内閣人事局は本来、それまでは官僚に牛耳られていた政治の主導権を、本来の議院内閣制に戻すための政策の筈でした。
それなのになぜ、最近のように、目の敵にされる事態となったのでしょうか。原因が2つ考えられます。

第1
お役人はそもそも、自らの人事権を持っている人事権者には頭が上がらない、上ばかりを見るいわゆる「ヒラメ役人」が大勢を占めているかもしれません。内閣人事局ができるままでは、省内の事務方トップ(次官)が人事権を握っていたため、省内の事務方トップ(次官)の意向を常に忖度して政策が立案されていました。
内閣人事局ができた結果、人事権者が省内事務方トップ(次官)から官邸に移行しました。ヒラメ役人たちは従来通り、人事権者に忖度する態度をとり続けた結果、今度は官邸に忖度することになってしまった、ということではないかと。

第2
第2代の内閣人事局長は萩生田光一氏です。安倍総理のお友達で、保守志向の強い政治家であることが記憶されます。
安倍総理は、内閣人事局で官僚の人事権を行使するにあたり、もっと穏やかに事を進めるべきだったでしょう。「官僚とは人事権者に忖度する人種である」ということに気づいていれば、今日のような状況に至ることなく内閣を運営できていたかもしれません。

いずれにしろ、内閣人事局という制度そのものが悪者視され、また公務員制度改革が逆行することだけが懸念されます。

さて、以上のように、安倍政権は内閣人事局を過度に自政権に都合の良いように運営し、日本の行政機構を「官邸忖度内閣制」にねじ曲げてしまいました。
そして同じ愚行を、検察に対しても行おうとした、というのが最近の検察騒動の根っこであるように思います。詳細は次回に
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