弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

知財高裁大合議判決

2008-06-02 00:00:25 | 知的財産権
5月30日、知財高裁大合議判決が久しぶりに出されました。
平成18年(行ケ)第10563号 審決取消請求事件
無効審判の審決(特許有効)取消を請求する裁判です。
原告 タムラ化研株式会社
被告 太陽インキ製造株式会社
発明の名称 感光性熱硬化性樹脂組成物及びソルダーレジストパターン形成方法

判決文は、知財高裁ホームページpdf)で入手できます。裁判所ホームページpdf)も同じものと思います。

新聞報道などでは、「(無効審判での)訂正(請求)において、先願と重複する部分を除く訂正を認める判断をした」旨の説明をしています。いわゆる「除くクレーム」が裁判所に認められた、かのような書きぶりです。


特許出願の審査段階における補正であっても、あるいは特許付与後の訂正であっても、「新規事項を追加する補正(訂正)」は認められません。現行特許法でいえば17条の2第3項「補正をするときは、出願当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしなければならない」、126条第3項の規定によります。


例えば、請求項が「成分Aが5~10%・・・である組成物。」①とします。それに対し、成分Aが9%である同じ組成物について記載した先願が見つかったとしましょう。
本願明細書中に、「成分Aは8%以下であると好ましい」と記載されていれば、請求項を「成分Aが5~8%・・・である組成物。」②と補正できます。また、実施例中に成分Aが8.5%である具体例が記載されていれば、この記載を根拠として、請求項を「成分Aが5~8.5%・・・である組成物。」③と補正できます。
このような補正の根拠となる適切な記載や実施例が存在しない場合にはどうでしょうか。
現在の審査実務では、数値範囲の上限値を補正で②や③のように変更する場合、たとえ数値範囲の減縮であっても、上限値について明細書中に何らかの具体的数値が記載されていない限り、補正すると「新規事項である」といって拒絶されます。

しかし、特許性を否定する相手が先願である場合、このようなことで補正を一切認めず、拒絶されるのでは出願人に酷です。そこで審査実務では「除くクレーム」を認めているのです。
上の例でいえば、「成分Aが5~10%(ただし9%を除く。)・・・である組成物。④」というように記載します。「成分Aが5~10%(ただし8~10%を除く。)・・・である組成物。」⑤でもいいはずです。

明細書中に具体的な根拠記載がない場合、②は許されないが⑤は許される、というところが不思議でしょうが、今まではそのような審査実務だったのです。「『除くクレーム』は、新規事項追加不可要件の例外」というふうに審査基準でも説明されています。


今回の事件、無効審判で無効審決がなされ、特許権者が審決取消訴訟を提起し、訂正審判で「除くクレーム」に訂正し、訴訟で審決取消決定がなされ、2度目の無効審判で「訂正を認める。審判請求不成立」との審決がなされ、今度は審判請求人が審決取消訴訟を提起し、大合議に回され、今回の判決に至ったという経緯です。

請求項、訂正後の請求項ともに複雑なのですべては挙げません。一部のみ引っ張り出すと、「・・・、(B)光重合開始剤、・・及び・・を含有してなる感光性熱硬化性樹脂組成物。ただし、・・・(B)光重合開始剤に対応する「2-メチルアントラキノン」及び「ジメチルベンジルケタール」と・・を含有してなる感光性熱硬化性樹脂組成物を除く。」といったようなクレームです。
本件発明のる感光性熱硬化性樹脂組成物は、(B)光重合開始剤を含むが、光重合開始剤のうち「2-メチルアントラキノン」及び「ジメチルベンジルケタール」を使ったものは除きます、といった意味です。

ざっと判決を眺めたのですが、本件特許明細書中には、「2-メチルアントラキノン」及び「ジメチルベンジルケタール」は記載されていないようです。特許法29条の2の先願となった明細書中に、これらが具体的に記載されています。

特許権者は、29条の2違反で無効とならないように、訂正で「除くクレーム」にしました。
これに対して審判請求人は、「そもそも『除くクレーム』は新規事項を追加する訂正であり、特許法違反だから認められない」と主張します。


これに対する判決ですが、「除くクレームは従来通り例外的に認められる」などという生やさしい判決ではありません。
私が理解するところ、「明細書中に具体的に根拠記載がなくても、除くクレームにしようがしまいが、新規事項追加には当たらない」と判示しているのです。これからは、明細書中に具体的な根拠がなくても、上記⑤(除くクレーム)とする必要はなく、②③補正が許される、と判示しているとしか解釈のしようがありません。


今回の判決は、「光重合開始剤、ただし○○と△△を除く」というタイプですが、数値限定の数値範囲を減縮する場合にも該当すると思っています。


それでは、判決文を見ていきましょう。

(1) 補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。(41ページ5行)

(2) 付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合には,そのような訂正は,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入しないものであると認められ,「明細書又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができるのであり,実務上このような判断手法が妥当する事例が多いものと考えられる。(41ページ15行)

(3) 明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書が適用されることに変わりはなく,このような訂正も,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。(43ページ8行)

(4) 引用発明の内容となっている特定の組合せを除外することによって,本件明細書に記載された本件訂正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえないから,本件各訂正が本件明細書に開示された技術的事項に新たな技術的事項を付加したものでないことは明らかであり,本件各訂正は,当業者によって,本件明細書のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかであるということができる。(48ページ7行)

(5) 補正事項自体が明細書等に記載されていないからといって,当該補正によって新たな技術的事項が導入されることになるという性質のものではない。(52ページ18行)

(6) 「除くクレーム」とする補正についても,・・・明細書等に記載された技術的事項との関係において,補正が新たな技術的事項を導入しないものであるかどうかを基準として判断すべきことになるのであり,「例外的」な取扱いを想定する余地はない(52ページ20行)


まず(1) で、「新規事項追加不可」補正要件の原則を述べています。(2) は、従来の実務で採用されている考え方です。そして(3) で、たとえ明細書中に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする場合でも、新規事項追加に該当しない場合があるとするのです。(5) も同様です。
(4) では、訂正前発明から特定の組み合わせを除外する補正は、上記規範に照らして新規事項追加ではない、とします。

ですから、「本当は新規事項追加なのだが、『除くクレーム』形式で表現した場合に限り、例外的に補正を認めてあげる」というのではなく、どんな形式だろうと、訂正(補正)によって新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,原則としてその訂正(補正)は認められます。

つまり、最初に示して事例で、明細書中に具体的な数値が記載されていなくても、②③のような補正が許される、ということになるはずです。


知財高裁は、今回の訴訟を大合議に上げることで、「新規事項追加不可」補正要件を実質的に修正(緩和)したということになる、と結論づけられました。えっ、本当か??
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Unknown (minmin)
2008-06-03 01:21:52
某会社の知財部で、一年ほど前からprosecutionしてます。
最初にこの仕事をやり始めてから、不思議に思ったのがdisclaimerをするときの「新規事項」の概念でした。
一応私の中では、次のように理解しているのですが
いいのでしょうか?
例えば、あるマーカッシュに含まれる選択枝が2つしかないときに、そのうちの1つが先行技術により公知であると言われ、それを削除することは、結局残りの1つに限定することと等価だから認められない

海外ではEPが一番この手のことに厳しいのが有名ですが、同じ理由なんでしょうか?


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disclaimer (ボンゴレ)
2008-06-03 18:17:14
minminさん、こんにちは。

日本特許庁での手続ではdisclaimerという言い方はしないと思うので、外国特許庁での手続についてであると考えてよろしいでしょうか。
私は外国特許庁手続にはそれほど詳しくないのですが、

米国について
235条のディスクレイマーでしょうか。
そうであれば、この条文ではクレーム毎に権利を放棄することができると明示しているので、クレーム内での減縮は認められないでしょう。「新規事項」か否かと関係なく。
出願段階での補正において、マーカッシュに含まれる選択肢の一部を削除する補正が認められないということは聞いたことがありません。

EPについて
権利化後は各国に移行するので、EPということは出願段階での補正ですね。
「審決の動向」本の「補正」の箇所をざっと眺めましたが、該当する記載は見つかりませんでした。

ご質問対する回答になっておらず、申し訳ありません。
返信する
disclaimer (マーキュリー)
2008-06-03 21:07:49
ボンゴレさん
こんにちは、私は企業の知財部で化学系の発明を扱っております。クレームをドラフトする際には、できるだけ除くクレームは使用しないようにしておりますが、たまたまクレーム内に入ってくるような化合物がある場合には除くクレームを使用することはあります。
さて、今回問題になっているのは出願後に分かった発明を除く補正を行う点ですよね。私の感覚からすると、29条の2の拒絶を解消するために”点として”とある化合物を除くことは認められる一方、”範囲として”除く場合には問題が出てくるのではないかと思います。
以前会社の同僚が審査官(日本)と面接した際に、除くクレームとして補正する際には、”過不足なく”除いてくださいと指摘されたそうです。除き足りない場合には新規性の問題が残り、除き過ぎる場合には明細書のサポート要件が問題になるからかなと理解しております。
今回の判決文を読んでいない状態でコメントするのも何なのですが、この特許権者が”過不足なく”除いているのであればOKなのではないかなと思いました。

なお、EPのdisclaimerに関しては、以下の目的の場合には明細書の記載がない場合であってもdisclaimerが認められるとの審決が出ております。
- restore novelty by delimiting a claim against state of the art under Article 54(3) and (4) EPC;
- restore novelty by delimiting a claim against an accidental anticipation under Article 54(2) EPC; an anticipation is accidental if it is so unrelated to and remote from the claimed invention that the person skilled in the art would never have taken it into consideration when making the invention; and
- disclaim subject-matter which, under Articles 52 to 57 EPC, is excluded from patentability for nontechnical reasons.

即ち、①54条(3),(4)に規定する先行技術(日本の29条の2)に対して新規性を出すため、②accidentalなanticipationがなされている場合、③技術的な要因以外の点から特許性を出す場合、にはOKということです。
更に、必要な範囲のみを除くこと、進歩性を出すためのdisclaimerは新規事項の追加に当たるとも記載されております。

http://legal.european-patent-office.org/dg3/pdf/g030002ex1.pdf
2ページ目参照


返信する
大合議判決 (ボンゴレ)
2008-06-03 21:29:06
マーキュリーさん、コメントありがとうございます。

EPCでの審決の紹介、ありがとうございます。

日本について、今回の大合議判決が確定すると、日本の審査実務に大きな変更がなされるのではないかと感じています。ですから、今までの審査の実態とは別に、今回の判決が及ぼす範囲をよく吟味する必要があると思います。

ぜひ大合議判決を読んでみてください。
返信する
Unknown (マーキュリー)
2008-06-04 19:02:41
ボンゴレさん
こんにちは、取消事由1(訂正の適否)を中心に読んでみました。
特許権者は、(A)-(D)や(A)-(E)の組合せからなる多官能エポキシ樹脂の部分を除いているのですが、これはあくまでも”点”を除く補正であり、裁判所の判断に関しては特に疑問は感じませんでした。
化合物の発明では例えばベンゼン環がR1-R4の置換基を取りうる場合にR1-R4が特定の組合せとなるような29条の2の先願となるような化合物が見つかった場合には、(但しR1が・・でR2が・・・を除く。)として先行化合物を除くクレームにするケースがあります。
ボンゴレさんが挙げられた具体例の場合、④や⑤のようにとあるパラメータだけを除くような記載にするのは新規事項に該当するのではないかと思います。
先行発明その物として除けばOKなのではないでしょうか?
例えば、ただしAが9%、Bが・・、Cが・・である組成物を除く。
いかがでしょうか。
返信する
大合議判決の地平 (ボンゴレ)
2008-06-04 20:13:07
大合議判決が、「従来の『除くクレーム』は違法でない」と判示している範囲についてはおっしゃるとおりです。

私が注目しているのは、この判決はその判示に止まらないということです。

判決の
「明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,・・・明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。(43ページ8行)」
をどう解釈するかです。
この判事事項は、「除くクレーム」に止まらず、広く補正・訂正一般に適用されるべき規範を明示したものです。

この判事事項から、マーキュリーさんはどのような範囲までの補正が(新規事項追加でないとして)許されるようになると感じられるでしょうか。
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Unknown (Unknown)
2008-06-05 17:41:11
今回の判決の原告とは関係のないたむらです。
今回の判決の「明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書が適用されることに変わりはなく,このような訂正も,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。」(42頁8~13行)の結論は、確かに、従来と異なる文言となっています。
 判決の41頁13~20行に記載の「付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合」が従来の判断基準(審査基準)と理解していました。
 今回の判決で、上記結論「明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないもの」としたのは、「除くクレーム」による訂正を新規事項ではないとする結論を導くためでないかと思いましたが。「除くクレーム」による訂正を認める理由として「新たな技術的事項を導入しない」からとする方がぴったりするからです。
 実務上の問題は、従来の「付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合」と、今回の「明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないもの」とによって判断結果に差がでる場合ですが、どのような場合に差がでてくるのか、直ぐにはわかりませんでした。ただし、「明細書又は図面に記載のない事項」を訂正・補正で追加する通常の場合(「除くクレーム」のような場合を除いて)には、どちらで判断しても結論は変わらないような気がしましたが、どうでしょうか。
返信する
補正可能範囲は変わるのか (ボンゴレ)
2008-06-05 20:09:02
たむらさん、コメントありがとうございます。

従来、「明細書中に根拠記載がない『除くクレーム』は、本来は新規事項追加補正だが、例外的に認める」というスタンスだったと思います。

今回、知財高裁判決は、「例外ではなく、原則として除くクレームは新規事項追加ではない」としました。
そして、そのようなロジックを構築したとたんに、「だったら、今までは新規事項追加とされていた事例が新規事項追加でなくなる」ということになったのではないかと推測しています。

例えば、「1~10%」というクレームがあったとして、明細書中に「8%以下が好ましい」との記載、あるいは実施例中に8%の実施例があれば、これら記載を根拠として補正で「1~8%」と減縮することは可能でしたが、明細書中に根拠記載がない限り、「1~8%」と減縮する補正は、新規事項追加であるとして認められない実務であると理解しています。

このような場合、今回の判決におけるロジックで解釈すると、どう考えても「新規事項追加ではない」のですよね。

この点、いかがでしょうか。
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Unknown (とおる)
2008-06-06 07:58:24
ちょっと横レスしますが、判決の射程を広く捉えすぎではないでしょうか。あるいは、判決文の中から、一部の論理だけを抜き出すのはあまり適当ではないと言うべきかもしれません。

判決文は普遍な真理を述べている訳ではなく、それに含まれる論理も常に普遍的に適用される性質を持つ訳ではありません。

あくまでも、「除くクレーム」の適法性を論じたこの判決を持ち出しても、「除くクレーム」以外の補正の正当性を主張する根拠にはならないと思います。

さらに言うと、大合議とは言え、高裁レベルの判決ですから、確定した判例とはなり得ません。当然、これとは違う論理の判決もまた出ると思います。
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Unknown (たむら)
2008-06-06 10:31:16
なるほど、数値限定の場合を考えると、今回の判決の結論の方が従来よりも広く補正(訂正)を認める結果となることがよくわかりますね。
明細書に「1~10%」としか書いていないが、「1~8%」とすれば、拒絶理由を解消できるとき、有力な根拠になります。
今回の判決の射程がそこまで及ぶのか、いま何ともいえませんが、魅力ある結論(説)であることは確かです。仮に射程が「除くクレーム」だけであったとしても、上記のような数値限定の場合に、「8~10%」を除いたと考えることができるから、として援用してみたい論理ですよね。
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