弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

河野談話

2007-04-17 21:34:59 | 歴史・社会
1993年(平成5年)8月4日に、宮澤改造内閣の河野洋平内閣官房長官が発表した談話が「河野談話」と呼ばれています。
この談話は、同日に内閣官房内閣外政審議室から発表された文書「いわゆる従軍慰安婦問題について」を受けて発表されました。談話の中に以下の文言があります。
「いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。」
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」

従軍慰安婦の募集には「官憲等が直接これに加担したこともあった」と記述し、この点から、日本軍が強制連行を行なったことを認める内容であると読めます。

しかし、上記報告と談話でこの点(軍の強制性)を認めたものの、証拠があったわけではなさそうです。このときの調査で、実際にどのような事実が明らかになり、どの点が明らかにならなかったのか、という具体的な状況についてはあいまいなままです。
河野談話のベースとなった政府の調査について、調査内容はほとんど公開されてないようです。

最近になって、河野談話は月刊誌を賑わしていること知りました。Will 5月号、諸君!5月号、中央公論5月号を購入する羽目となりました。

これら雑誌での多くの議論は、「平成5年の政府調査において、官憲が強制的に徴用した事実を示す証拠は結局見つからなかった。にもかかわらず、河野談話は『官憲等が直接これに加担したこともあった』と明確に表現した。なぜか。当時の韓国政府が、『日本が強制徴用を公式に認めれば、日本には金銭的補償を求めない』と意思表示したからだ」と主張しています。

例えば、元従軍慰安婦の16人の韓国女性が証言していますが、彼女らは韓国政府によって選ばれ、日本外務省担当官が韓国に出向いて一人あたり2時間半の事情聴取を行ったが、日本側からの反問も検証も許されない異常な事情聴取だったようです。

櫻井よし子氏は、河野談話に関わった政府当事者全員に取材を申し込み、話を聞きました。その結果確認できたのは、河野談話には根拠となる事実は全く存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃く反映されていたことでした。
西岡力東京基督教大学教授が、外政審議室の人に「『河野談話』の官憲等という記述は何なのか」と質したところ、「これはインドネシアにおけるオランダ人を慰安婦にした事例だ」と答えたそうです。ジャワのオランダ人捕虜収容所に収容されていた女性が、強制的に慰安婦にさせられた事件は実在しますが、収容所監督の一存でなされ、その事実を知った上層部によって中止させられ、戦後その監督は戦犯として死刑に処せられています。痛ましい事件ではありますが、河野談話の中で「官憲等が直接これに加担したこともあった」(「これ」は「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反した慰安婦募集」を指す?)との事例としては不適切でしょう。


当時どのようないきさつがあったかはわかりませんが、発表された河野談話が、現時点で独り歩きしていることは紛れもない事実です。ホンダ決議案の最大の根拠になっています。
ホンダ議員は、「河野談話があるからには強制連行があったはず」と理解しています。安倍総理の発言は、「河野談話がありながら、またも歴史をねじ曲げようとしている」と理解されています。

河野談話がある以上、日本政府は「証拠を示せ」という態度でいいわけがありません。宮沢政権での調査を上回る調査を行った上で、「事実はこうであった」と示すしかないでしょう。

しかし、問題は「河野談話を日本政府が取り消せばいい」というような単純な話ではありません。下手をすると、世界の世論を敵に回すことになりかねないでしょう。


朝鮮の地から連れてこられて従軍慰安婦にさせられた女性の中に、正式の軍命令による強制徴用ではなかったにしても、騙されたりして無理矢理連れてこられた人が多かっただろうことは理解できます。

軍医として従軍慰安婦の健康を管理していた医師の記録が、「昭和陸軍の研究」にも登場します。日本人9人、朝鮮人4人、中国人2人の女性を診た医師によると、女性の大半は仕事の内容を承知しているが、朝鮮人2人は、このような仕事とは思わずに連れてこられたと話しています。そうしたケースは、軍による強制連行か、女衒によるものかははっきりとはわかりません。また、中国に送られた婦女子百余名(朝鮮人女性と日本人女性)の健康診断を行った別の軍医によると、朝鮮や北九州で募集された女性であり、日本人女性はその筋の職業に従事した者が多かったのに対し、朝鮮人女性には肉体的には無垢を思わせる者がたくさんいた、ということです。

たとえ日本軍の軍命令で強制連行されたものではないとしても、騙されて連れてこられた朝鮮人女性が多いことを、現地日本軍は把握していたはずです。知っていながら続けたという点では、責任を逃れることはできません。そこは日本政府としてしっかりと受け止めるべきでしょう。


ところで、日本人従軍慰安婦は、もともとその筋の職業に従事した者が多かったという事実はあるかも知れませんが、だからといって彼女らの自由意思で従事したとはいえないでしょう。
昭和大恐慌で農産物価格が暴落し、同時に東北地方が凶作に見舞われたとき、小作農の家では、家(家族)を守るため、その家の娘が身売りされ苦界に身を落としていきました。そのような娘たちが、流れ流れて従軍慰安婦になっていたのだとしたら、その悲惨さは、騙されて慰安婦にさせられていた朝鮮人女性と変わるところがありません。

話は変わりますが、従軍看護婦であった日本人女性が、フィリピンのセブ島の山中を日本軍とともに逃亡する中で、従軍慰安婦をさせられた、という悲惨な話があります。大岡昇平「俘虜記」(新潮文庫)に出てくる逸話です。
そのような悲惨が日常であったというのが当時の状況なのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする