弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

阿川弘之「春の城」

2007-04-12 22:44:44 | 趣味・読書
阿川弘之著「春の城」(新潮文庫)

阿川弘之氏のごく初期(昭和27年)の作品です。
この本の著作に到る阿川氏の経歴は、
「広島市生まれ、広島高校から東大文学部(国文科)に進み、繰り上げ卒業で海軍予備学生となり、通信科予備士官として海軍に勤務する。終戦を中国漢口で迎え、1946年春、大陸から引き揚げ、原子爆弾により焼き尽くされてしまった故郷広島の街を見る。」
というもので、ほぼ「春の城」の主人公耕二の経歴と一致していますので、この本は阿川氏の自伝小説であると考えて良いのでしょうか。

前半の大学生生活、海軍予備学生として入隊するまでの部分は、戦争が近づいてくる中、ひとつ年上の幼馴染みである智恵子との間の、恋心と青年の利己心が交錯する、青春小説の佳作を思わせる展開です。耕二の両親や智恵子は広島に住み、4年後の原爆投下での悲劇を予感させます。

海軍入隊後、最初は東京の軍令部で中国軍の暗号解読業務に従事します。同僚は同じ予備学生出身の仲間で、軍隊とはいえ、学生気分の生活でした。

東京から中国の漢口に転属して生活が一変します。
同じ暗号解読業務で、中尉として大勢を束ねる役割を担いますが、気持ちが次第に凶暴になり、規定の時刻に帰隊しない下士官達を彼は何度もなぐります。
その後着任した予備学生一期上の分隊長と合わず、険悪な関係となります。

そして昭和15年8月です。広島に原爆が投下され、耕二の両親や智恵子をはじめとする大事な人たちが被曝し、物語は大きな山場を迎えるかと思いきや・・・
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(漢口で)或る朝、彼は「大陸新報」という、漢口で発刊されている小型版の日本語新聞の一面に、「広島に原子爆弾」という記事が出ているのを見て、おやおやと思った。今まで広島は殆ど空襲らしい空襲を受けておらず、家の事も安心していたが、「相当の被害があった」という発表で、これは今度は、ひょっとすると父母も危ないかも知れない、そんな風に考えた。

「広島もこれでは皆死んでしまったろう」憂鬱も腹立たしさも強くは湧かず、只来るべきものが来たという気がするだけで、耕二の心にはもはや何事も、極めて鈍くしか感ぜられなかった。
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そして8月10日、通信から、日本のポツダム宣言受諾を知ります。

小説はそのあとに、原爆投下後の広島で、耕二の知人たちがどのような惨劇に遭っていたのかを描写します。この部分は、耕二が全くあずかり知らぬときのできごとですから、事実が淡々と語られます。耕二の広島高校時代の恩師、智恵子、智恵子の母親が、被曝後ほどなくして悲惨な死を遂げました。

最終章は、原子爆弾で死んだ人たちの三回忌の季節、広島に帰った耕二の生活が描かれ、そこで小説は終了します。


大学時代から軍令部までの生活の、甘く切ない青春時代の描写と対比し、終戦時の耕二の態度、その感受性を失ったような態度の描写には、意外としかいいようがありませんでした。そしてこれこそが、戦争が残した爪痕に違いないと確信した次第です。

終戦から7年しか経過していない時期に、阿川氏は自分のたどってきた途とそのときどきの自分の心情を、隠すことなく小説に描写したのでしょう。
コメント (5)
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