大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年08月22日 | 写詩・写歌・写俳

<1348> 二〇一五年の夏

             七十年 戦後を負へる 日本かな かなかな哀し ひぐらしの声

 今年は戦後七十年。その上に違憲臭芬々たる集団的自衛権を含も安保法制案が国会で審議され、自民、公明与党の賛成多数によって可決されるべく推し進められている。これに加え、環太平洋パートナーズシップ協定の問題や東京オリンピックに関わる新国立競技場やエンブレムの問題など色々と生じ、より暑い夏になっている観がある。これらの政治的諸問題を考えてみるに、すべてに米国がからみ、米国の影響による日本の自立した姿が見られない情けない外交とそれにともなう政治的状況がうかがえる。これは一重に大借金をしている国の弱さを露呈しているもので、この国の大借金が諸悪の根源になっていることを示している。

 戦後七十年ということで安倍首相は談話を発表したが、何を世界に向けて発したのか、言葉の綾を用いなければならないような自慰的な談話を出した。これについても米国の意向を汲んだ趣が感じられる。思うに、第二次大戦の結果は、世界に多大な戦傷を及ぼした。国土の大半を焦土にされて敗戦した日本は国民の犠牲も多大に及んだが、戦争を仕掛けて行った日本によって戦場と化した中国や韓国、北朝鮮はよりひどい状況に至った。これらの隣国による当時に馳せる被害者意識は、焦土と化した中で肉親の多くを亡くした日本人以上に、いつまでも拘泥する心理を働らかせる。その思いはなかなか消えず、政治はその思いをより強く引きずって外交にも向かって来る。

 これは、日本において戦死者を祀る靖国神社に赴く人々が、その戦死者に思いを抱く心持ちと同じで、毎年、靖国に参拝する人が絶えないのと等しく、中国や韓国、北朝鮮にはそれに加えてなお被害者意識によるより大きく戦争加害国に対して訴える気分がある。このことを認識し、理解しない以上、いくら美辞麗句を並べても戦後のこれら近隣国に対する外交問題は収拾しない。それは無条件降伏をした日本の立場として受け止めなくてはならない仕方のない倫理的側面があるからである。こういう意味からして、内外における戦後という言葉はなお負い続けなくてはならないと言えるだろう。日本はそれだけのことをして敗戦に至ったのである。

                    

 原爆を二発も落とされ、国土の大半を焼きつくされ、徹底的に叩きのめされた米国へのトラウマが大きく、未だに尾を引いている政治的状況はわからなくもないが、専門家のほとんどに違憲であると言われながら、その平和を旨とする現憲法を蔑にし、戦争の出来る国にする米国追随の安保法制案は、戦後という言葉の意味を忘却し、あるは無視してかかるもので、戦争好きな米国の後方につき従い、武器を携えて世界に出て行くことを可能ならしめ、日本の主権を一層台無しにする悪法と言わざるを得ず、安倍政権のやっていることは、言わば、日本売りを進めようとしているのと同じに思えて来る。

 このような意味において言えば、日本は一つの大きな岐路に立たされていると言え、この夏は将来を左右する夏と言ってもよく、連日の猛暑をより暑くしているようなところがうかがえる。では、十句をもってこの我が酷暑の夏を。  写真は句のイメージで、夏雲とアキノキリンソウ。

       夏雲に日々照らされて奈良盆地

  夏病みや 我が身の中の 龍之介

  ゆける夏 冴えなく聞こゆ 鐘の音

      庭の荒れ 夏過ぎゆくに 激しかり

      幸不幸 それも酷暑の 日々纏ひ

  ゆく夏や 時代の移りてゆく 知覚

  癖のごと歩けば アキノキリンソウ

  逝きし人何処か処暑となりにけり

      山積みにされし書の室 茹だる夏

  七十年 戦後を言へば 蝉 しぐれ