大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年08月02日 | 写詩・写歌・写俳

<1339> 大和の山岳行 (12)  日出ヶ岳

         大一つ 天に命を 掲げれば 小一つあり 大の根元に

 猛暑の八月一日、台高山脈の南の主峰である大台ヶ原の日出ヶ岳(一六九五メートル)に登った。吉野から熊野に通じる国道一六九号の川上村新伯母峰トンネルの手前から入る大台ヶ原ドライブウエイを車で二十分ほど走ると大台ヶ原の広い駐車場に突き当たる。ドライブウエイがないときはかなりな道のりの山であったと想像されるが、駐車場は標高一五〇〇メートルほどなので、日出ヶ岳には標高差ほどを歩けば登れる。

  距離も短く、遊歩道が整備され、二十分ほどで山頂に立つことが出来る。ドライブウエイのお陰で、標高の高い山の割には登りやすい山である。山頂には展望台が設けられ、天侯によっては遠く富士山や木曽御嶽山なども見られ、東西南北360度の眺望が楽しめる。

 大台ヶ原は吉野熊野国立公園の一角で、この日出ヶ岳や絶壁の岩頭大蛇などを有する隆起台地の準平原で知られ、大きくはトウヒとミヤコザサ群集を主にする東大台と駐車場より下部に当たる谷筋に広がる飛瀑を有する原生林が広がるブナとウラジロモミ群集を主とする西大台に分けられる。 こうした大台ヶ原の一帯は環境省の管理下にあり、東大台は遊歩道の整備が行き届き、誰でも自由に歩けるようになっており、ハイカーには打ってつけのコースで、老若男女区別なく、多くの人が利用している。一方、西大台は原生林の植生を保護する目的により、入山規制が行なわれ、入山料千円を払って予約しなければ、入れないように管理されている。

         

 この間、西大台を歩いたので、昨日は日出ヶ岳に登って、東大台を巡った。まず、日出ヶ岳の山頂に立ちそれから白骨のような風倒木が見られる広いササ原の中の木製の遊歩道を正木ヶ原方面に下り、尾鷲辻から大蛇に向かい、大蛇に立ち寄った後、シオカラ谷に下って、渓谷の谷水で顔を洗い、喉を潤し一服して、吊り橋を渡って急な階段を登り返して駐車位置に戻った。弁当は、ほかの登山者と一緒に大蛇の入口で済ませた。日差しが強く、歩きは暑かったが、風のあるところでは涼しく、休み休み歩いた。結果、弁当の時間も含め、所用約五時間半だった。

 東大台は十数年前から歩いているが、当時に比べると、コケの類が少なくなり、ミヤコザサが増えている観がある。昨日はシカの姿を見なかったが、多少駆除したのだろうか。最近は、対策が施され、シカの食害による生々しい樹皮の剥がれた被害の状況は見られなくなった。しかし、コケ類の減少は止まることなく進んでいるように思われる。これはトウヒ林の衰弱によるのだろうが、地球温暖化が大きく影響していると考えられる。

 シカの対策は個別案件として地元も担うことが出来るが、地球温暖化とか酸性雨のようなグローバルな問題は個別では解決のしようがないのが実情である。温暖化にしても酸性雨にしても人間の所業であるが、自然の植生にとってはそれが環境としてあるわけで、この環境に適合しながら時の移ろいの中にあり、今の植生が成り立っているということになる。ササ類が繁茂し、コケ類が少なくなると、コケ類とともに生えていたコミヤマカタバミとかヒメミヤマスミレといった草花も姿を消してゆくことになる。

 そういう小さな草花に、私は目をやって来たのであるが、概して、そういう草花は徐々に少なくなっていることが見て取れる。大も一つの生命ならば、小も一つの生命に違いない。大は大において、小は小において知恵を働かせ、その時々の環境に適合しながら生を全うしている。傷つくもの、命を失うもの、これは日々甚大に起きていることなのだろうが、生あるものの多くは頑張って今を生きている。草木で言えば、青い山がそれをよく証明している。そして、その草木は大小にかかわりなく、この天地の間にあってほかの生きものに対し、大いに役立っているということが出来る。 では、今一首。  大も小も 同じ天地の 間の身は 同じ移ろふ 時を抱けり    

 写真は東大台の様子。左からミヤコザサが一面に繁茂するトウヒ林下、日出ヶ岳山頂の展望台、枯れて白骨状になった風倒木のササ原、コース最後のシオカラ谷からの登り返しの階段。