大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年08月28日 | 写詩・写歌・写俳

<1352> 微妙な変化

         一本の木にも移ろふ時が見ゆ 樹齢を加へ 枯れゆく姿

 昨日、天川村の観音峰展望台(一二〇八メートル)に登った。絶滅危惧種に惹かれて山野を歩いているが、この展望台の一帯にも何点か見られる。最近は立入規制のロープが張り替えられ、保護に当たっている様子がうかがえる。この時期はススキが繁茂し、登山道を塞ぐほどで、歩き辛いが、植生の保護には好適なのかも知れない。しかし、草原は放置すると自然の法則に従って草から低木や陽樹、そして、最後は常緑樹による極相林へと植生の遷移が進み、保護対象の植生を台無しにすることも考えられるので、草原の管理には難しさがある。

 観音峰展望台付近の草原には、一昔前まで、奈良県の絶滅危惧種にあげられている自生のヒオウギが群生し、夏場に朱赤色の花が見られた。しかし、現在は姿を消しているようで、見受けられない。この草原には鹿の群がよく目撃されるので、多分、鹿の食害によるのではないかと察せられるが、昨日はその鹿を見なかった。この草原にはツツジの仲間のレンゲツツジが見られるが、レンゲツツジには強い毒性があるので鹿は食べないとみえ、その群落は今も残っている。

              

 ところで、時の移ろいには変化がつきもので、希少な絶滅が心配される草木だけでなく、失われてゆくものが見られるのは悲しいかな、常のことである。観音峰展望台には一本のアオハダ(?)が見られ、秋になると赤い実を沢山つけ、登山者を楽しませていた。昨日は、一つにそのアオハダの実(?)を楽しみに登ったのであるが、枯れて半ば白骨化状態になっているのが見られた。何が原因なのか、時の移ろいは草木にも等しく言えることで、それは無常な姿であった。

 左の写真は赤い実をいっぱいにつけたアオハダ(?・平成十五年十月二十六日撮影)。右の写真は枯れて半ば白骨状態に陥った同じアオハダ(?・平成二十七年八月二十七日撮影)。つまり、この二枚の写真からは十二年に及ぶ歳月の隔たりをうかがうことが出来る。で、旺盛に実を生らせていた当時が懐かしく思い出される。この赤い実の大半は自らの本分を果せず終わったのであろうが、思うに、その年月においてこの赤い実は毎年数ある鳥たちを育んで来たとも言えるのである。