大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年08月25日 | 写詩・写歌・写俳

<1350> 大和の野鳥

        誰にも無関心ではいられないものがある

               それは自身の中の自分という存在

       関心が持たれるものにはみな意識が生じ

       意識が生じることによって生が成り行く

       つまり 私たちの生は自身の意識によってなる

               これが私たちの基にあって生は展開される

       山野を歩くと鳥たちの啼き声が聞こえて来る

       この啼き声は関心がなく 無意識に聞けば

       自身の意識に至れず無関係な存在になる

               私たちの生というのは この自意識のうえに

               他への関心と意識が加えられ 展開する

 ここに示した野鳥たちは、私が大和の山野を歩いてそのときどきに出会い関心が持たれて意識に及び撮影した鳥たちで、これらの鳥たちには一つ一つに出会ったときの姿や付近の様子が思い起こされて来るところがある。もちろん、これは野鳥だけのことではなく、私を取り巻くあらゆるものに当てはめて言えることで、私には山野に花を咲かせる草木にも言えることである。

                

                

                

 写真は上段左からシジュウカラ、カワセミ(以上は1月13日、馬見丘陵公園)、アオサギ(2月10日、同)、モズ、アオジ、ヒバリ(以上は3月12日、平城京跡)。中段左からオオルリ(4月22日、川上村神之谷)、スズメ(5月5日、馬見丘陵公園)、キジ(5月18日、奈良市佐紀町)、ツバメ(6月16日、斑鳩の里)、ホオアカ(6月21日、曽爾高原)、ミソサザイ(6月25日、金剛山)。下段左からヤマガラ(幼鳥、8月12日、大台ヶ原山)、ゴイサギ(若鳥)、シロハラ(以上は2月10日、馬見丘陵公園)、エナガ(9月18日、大和民俗公園)、アカゲラ(12月7日、玉置山)、メジロ(12月14日、斑鳩の里)。


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2015年08月23日 | 写詩・写歌・写俳

<1349> 新続々々々我が家の雨蛙

       猛る夏 だがそれぞれに 生きてゐる

 雨蛙のぷくぷくのお父さんは相変わらず二階のベランダ下を居場所に姿を見せている。やはり、雨模様の日は姿を消すが、晴天になると、どんなに暑い日でも居間の窓から見えるベランダ下の雨樋の上に鎮座しているのが見られる。今日は珍しく物干し竿に下りて来て朝からその上に乗っかっている。妻が洗濯ものを干すため、近づいても逃げる気配がない。弱っているのか、慣れているのか、目はしろくろさせているが、動かない。ときに風が通るので過しやすいのかも知れない。それでも喉元をぴくぴく動かしている。暑さの所為に違いない。のんびりしているようで、頑張って生きていると言えそうである。

          

 山側の方からはツクツクボウシの鳴くのが聞こえて来る。赤トンボは枯れ枝の先。ショウジヨウバッタは草いきれの中。マルハナバチは咲き始めた秋咲きのアザミの花にといった具合の今日このごろである。みんなそれぞれにこの夏を過し、生きている。これらの小さな生きものたちに触れていると、言葉を発する人間さまが実にかしましく思えて来る。ぷくぷくのお父さんなどは黙すること永遠のごとくまことに静かでやさしい。これも一つの生き方だと思われる。天道さまは気ままで、ここ二、三日涼しくなったと思っていたら、今日はまた暑くなった。それでも、夜はましで、虫の声も聞かれるようになった。今日は処暑。地蔵盆である。


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2015年08月22日 | 写詩・写歌・写俳

<1348> 二〇一五年の夏

             七十年 戦後を負へる 日本かな かなかな哀し ひぐらしの声

 今年は戦後七十年。その上に違憲臭芬々たる集団的自衛権を含も安保法制案が国会で審議され、自民、公明与党の賛成多数によって可決されるべく推し進められている。これに加え、環太平洋パートナーズシップ協定の問題や東京オリンピックに関わる新国立競技場やエンブレムの問題など色々と生じ、より暑い夏になっている観がある。これらの政治的諸問題を考えてみるに、すべてに米国がからみ、米国の影響による日本の自立した姿が見られない情けない外交とそれにともなう政治的状況がうかがえる。これは一重に大借金をしている国の弱さを露呈しているもので、この国の大借金が諸悪の根源になっていることを示している。

 戦後七十年ということで安倍首相は談話を発表したが、何を世界に向けて発したのか、言葉の綾を用いなければならないような自慰的な談話を出した。これについても米国の意向を汲んだ趣が感じられる。思うに、第二次大戦の結果は、世界に多大な戦傷を及ぼした。国土の大半を焦土にされて敗戦した日本は国民の犠牲も多大に及んだが、戦争を仕掛けて行った日本によって戦場と化した中国や韓国、北朝鮮はよりひどい状況に至った。これらの隣国による当時に馳せる被害者意識は、焦土と化した中で肉親の多くを亡くした日本人以上に、いつまでも拘泥する心理を働らかせる。その思いはなかなか消えず、政治はその思いをより強く引きずって外交にも向かって来る。

 これは、日本において戦死者を祀る靖国神社に赴く人々が、その戦死者に思いを抱く心持ちと同じで、毎年、靖国に参拝する人が絶えないのと等しく、中国や韓国、北朝鮮にはそれに加えてなお被害者意識によるより大きく戦争加害国に対して訴える気分がある。このことを認識し、理解しない以上、いくら美辞麗句を並べても戦後のこれら近隣国に対する外交問題は収拾しない。それは無条件降伏をした日本の立場として受け止めなくてはならない仕方のない倫理的側面があるからである。こういう意味からして、内外における戦後という言葉はなお負い続けなくてはならないと言えるだろう。日本はそれだけのことをして敗戦に至ったのである。

                    

 原爆を二発も落とされ、国土の大半を焼きつくされ、徹底的に叩きのめされた米国へのトラウマが大きく、未だに尾を引いている政治的状況はわからなくもないが、専門家のほとんどに違憲であると言われながら、その平和を旨とする現憲法を蔑にし、戦争の出来る国にする米国追随の安保法制案は、戦後という言葉の意味を忘却し、あるは無視してかかるもので、戦争好きな米国の後方につき従い、武器を携えて世界に出て行くことを可能ならしめ、日本の主権を一層台無しにする悪法と言わざるを得ず、安倍政権のやっていることは、言わば、日本売りを進めようとしているのと同じに思えて来る。

 このような意味において言えば、日本は一つの大きな岐路に立たされていると言え、この夏は将来を左右する夏と言ってもよく、連日の猛暑をより暑くしているようなところがうかがえる。では、十句をもってこの我が酷暑の夏を。  写真は句のイメージで、夏雲とアキノキリンソウ。

       夏雲に日々照らされて奈良盆地

  夏病みや 我が身の中の 龍之介

  ゆける夏 冴えなく聞こゆ 鐘の音

      庭の荒れ 夏過ぎゆくに 激しかり

      幸不幸 それも酷暑の 日々纏ひ

  ゆく夏や 時代の移りてゆく 知覚

  癖のごと歩けば アキノキリンソウ

  逝きし人何処か処暑となりにけり

      山積みにされし書の室 茹だる夏

  七十年 戦後を言へば 蝉 しぐれ


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2015年08月18日 | 創作

<1347> 自作短歌回顧 (2)

         来し方の道程(みちのり)にして生(あ)れし歌 回顧に或るはチョウトンボの野

                               

                                                                  (写真はチョウトンボ)

             次章への接ぎ穂に恵む夜の雨 雨に緑の増しゆくこころ

       さればこそ悲しきことも嘉すなり 末黒の後の季節の光

       足跡の途絶えし汀きらめけり 夢はあるべし美しくして

       一応の成果を得しといふ評価 一応といふ涙ぐましさ

       不帰の悲へ今朝のピアノは端然と 微かに百合は花粉を零し

       人生を闘争(たたかひ)とする力説の言葉に対し李が一つ

       透明にあらざるものと相向かふ 自負によらずば何によるべき

       問ひ問はれつつあるところ 人間の人間にある人間の闇

       不束に来し身この身のこの齢 真っ赤な真っ赤な夕陽に染まり

           児は母の腕に眠る 青桐の広葉に宿る五月の光

           峠越え連れなふものはこれやこの 月も越ゆるに越えにけるかも

       遠くより炎天野球の声聞こゆ 我が臨終の日もかくあるか

       蟻地獄 地獄はまさにいきいきと営むころか 読経の真昼

           ひらはらりはらひらはらりひらはらりひらはらはらりひとひらの花

       息づかひ激しき犬とすれ違ふ 病院脇の葉桜の下

       端正に葱植ゑられてゐる庭面 端正そこに意識が向かふ

       大地とはやさしき花を咲かせ子を遊ばせ逝きしものを眠らす

       切なさの表裏にありて橋一つ 渡りつつある人一人見ゆ

       陽炎に揺らぐ六月 来し方の思ひ未だし執着未だ

       野仏は誰の思ひの現れか 草の生きれの中に埋もるる

           キリン舎にキリンの子生る 耳よ聞け目は見よ父母の故国は遠し

       一つ一つ針を刺されてゐる蝶の群なして美し 狂気の予兆

       向日葵の茎の父性とその花の母性 陽の中 立ち枯れてゐる

       言葉もて埋めんとするに埋められず 埋められぬままの器が一つ

       陽の光遍く及ぶ地にあれば ここにも一人恩恵の徒

           我に父我に母ある理と一片の雲の存在の意味

       松風の岡に立ちたる青年が斜めに被る麦藁帽子

       入陽なす辺りを我ら浄土といふ 現身の身は染められゐたる

       理解力及ばざるまま来しことを 青葉の光涙ぐましく

       行くものも行かざるものもかくはある 夢の岸辺は心の岸辺

                                             おわり~


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2015年08月17日 | 創作

<1346> 自作短歌 回顧 (1)

         移りゆく 時の流れに 棹差して 折々得たる 感の我が歌

                                  

                                                                             ( 写真は朝日 )

       目に映る広き草原 あこがれの意にそふならば歩みゆくべし 

      晩鐘は今日の一日(ひとひ)の無事に鳴る 無事より明日は開かれゆける

        この世とは過ぎてゆかねばならぬ身がありあるところ 今夏のひかり 

        黙しゐるごとくにありて冬人家 枇杷の花など傍らに見え

        得しものは成果 こころに至りしを汲まんとするに 白梅の花

        灯火の一つ一つの穂明かりにほのぼの宿る晩夏の薫(かほり)

        人生は未完にありてゆける旅 抒情の歌などともなひながら

           北を指すその北よりもなほ北のある切なさを旅と言ふなり

        木犀の花散り終へぬ 便りには予後の穏やかなる日々が見ゆ

        曼陀羅の挿話に通ふぬひぐるみ 並べて遊びゐる子らの声

        曲折の道の半ばといふほどの曲折 そして壮年の歌

        ここに来てなほ何処へか 胸奥に欲するそれや 一掬の水

        捕らへ得ず転がるボール何処へか こころ焦りて追ふ夢の中

        昼夢より覚めて追ひたるボールなく 遠く少年野球のかけ声

        万有の万の中なる一個体、個を言はば 孤の一個性 我

        楽天の天に転ずる悲の痛み 転じ終はらば 恵まれて来よ

        野を過る群馬一群の毛並み良し 諾ふこころ高なればよし

        修羅の身の心における昨日今日 なほ理不尽の撃てざる弱さ

        悲は鬱へ 鬱はうつうつと虚しさへ 庭のそこここ崩るる牡丹

        至り得ぬ心の旅の旅枕 来し方いづこ葉桜の下 

        時は往く 非情 無情 刻々と零されてゆくあまたの思ひ

        遙かなる彼岸へ架ける橋ひとつ 見えて見えざる眺望の中

        疎かに対応出来ぬものとあり あり且つ思ふ うつうつうつつ

        越ゆるべき一つの意識越えてなほ行きゆく思ひの中の白梅

        美と醜と諸刃において言ひおかむおのれ美としてあらねばならぬ

        回廊は神の御座に続くなり若葉の影に沿ひ添はれつつ

        波間より帰り来たりし千鳥かな 冬の命の今日の夕暮

        白鳥の羽音高なるその姿 熱き思ひは行かしめてこそ

           群像の胸板厚しそれぞれに自負の姿を持って立ちゐる

        歩の一歩一歩一歩のその一歩その一歩なる明日への歩み

                                                                                                                 ~ 続  く ~