<1350> 大和の野鳥
誰にも無関心ではいられないものがある
それは自身の中の自分という存在
関心が持たれるものにはみな意識が生じ
意識が生じることによって生が成り行く
つまり 私たちの生は自身の意識によってなる
これが私たちの基にあって生は展開される
山野を歩くと鳥たちの啼き声が聞こえて来る
この啼き声は関心がなく 無意識に聞けば
自身の意識に至れず無関係な存在になる
私たちの生というのは この自意識のうえに
他への関心と意識が加えられ 展開する
ここに示した野鳥たちは、私が大和の山野を歩いてそのときどきに出会い関心が持たれて意識に及び撮影した鳥たちで、これらの鳥たちには一つ一つに出会ったときの姿や付近の様子が思い起こされて来るところがある。もちろん、これは野鳥だけのことではなく、私を取り巻くあらゆるものに当てはめて言えることで、私には山野に花を咲かせる草木にも言えることである。
写真は上段左からシジュウカラ、カワセミ(以上は1月13日、馬見丘陵公園)、アオサギ(2月10日、同)、モズ、アオジ、ヒバリ(以上は3月12日、平城京跡)。中段左からオオルリ(4月22日、川上村神之谷)、スズメ(5月5日、馬見丘陵公園)、キジ(5月18日、奈良市佐紀町)、ツバメ(6月16日、斑鳩の里)、ホオアカ(6月21日、曽爾高原)、ミソサザイ(6月25日、金剛山)。下段左からヤマガラ(幼鳥、8月12日、大台ヶ原山)、ゴイサギ(若鳥)、シロハラ(以上は2月10日、馬見丘陵公園)、エナガ(9月18日、大和民俗公園)、アカゲラ(12月7日、玉置山)、メジロ(12月14日、斑鳩の里)。