<36> 修学旅行の子供たち
ガイドより 説明を受け 見上げゐる 塔の眺めに子らのありけり
大和路はいよいよ秋の行楽シーズンである。お寺や神社などを巡る人々も一段と増えている。斑鳩の里の法隆寺は大和路を代表するお寺の一つで、修学旅行生などがこのところ連日バスを連ね訪れている。
大和は京都と同様、修学旅行のメッカで、 東大寺や興福寺がある奈良公園の一帯をはじめ、 薬師寺や唐招提寺などがある西ノ京の周辺、それに法隆寺などのある斑鳩の里、また、古墳や遺跡の多い明日香の里などをあげることが出来る。これらの地域は歴史を誇る国宝級の建造物や仏像、美術品などが多く見られ、訪れる人を魅了してやまないところがある。
修学旅行生を見ていると、小学生がほとんどで、中学生や高校生をあまり見ないことに気づく。これは今に始まったことではないように思われるが、不思議と言えば、不思議である。 修学旅行は教育の一環であり、児童や生徒の思い出づくりでもあって、奈良や京都といった古都は昔からその地を選定し、 地元も修学旅行生を受け入れる体制が出来ていることが大きいと思える。
最近は原爆資料館を有する広島市を訪れる修学旅行生も多いと聞く。こういう傾向を考えると、お寺の建物や仏像も原爆資料館の展示物もみな歴史を物語るもので、 修学旅行の行く先は行楽を兼ねて歴史を学ぶことの出来るところが選ばれているように思える。
では、中学や高校の修学旅行はどのようになっているのだろうか。日本の歴史などは既に卒業している状況なのか、古都などよりももっと生徒たちのニーズに合わせたところが選定されているのではなかろうか。世の中はグローバル化し、海外にその地を求めて出かける高校なども増えている。 これはそのニーズの現われの一端かとも思Eる。 十四、五年前であったか、ブレスベン(オーストラリア)の空港で修学旅行の高校生に遭遇したことがあった。そのときは驚いたが、今はそれほど珍しい光景ではなくなっているのではないか。
さて、 法隆寺を訪れた修学旅行の小学生たちは正面の南大門から世界最古の木造建築で知られる国宝の五重塔に迎えられながら中門まで歩き、 そこから左に取って、 五重塔や金堂などが建ち並ぶ西院伽藍内に入って行く。 広い参道を進むと、左右の築地が途切れたところから参道は東西に開け、広々として法隆寺の印象を新たにする。この辺りまでは誰でも自由に入ることが出来るので、近隣の人には散策コースになっている。
修学旅行生は五重塔が見える角度のいいところで記念の集合写真を撮り、それを終えるといよいよ法隆寺の伽藍に向かい、仏像との対面である。 法隆寺には観世音菩薩立像 (百済観音)をはじめとして十七件百十一躯の国宝に指定された仏像等が安置されていると言われる。
子供たちの弾んだ声を聞いていると、どんな心持ちで仏像、つまりは、仏さまに対面するのだろうかと思いが巡る。 四角四面な気持ちになる必要はないが、仏さまの慈眼慈悲を感じ取ってもらえればという気がする。 では、 最後に、 修学旅行生を見ていて思い出した旧作を一首披露したいと思う。
思惑は いかにあれども 旅枕 大和を訪はば 慈眼慈悲まで
写真はともに法隆寺で。右の写真は次々に訪れる修学旅行生の一群。後方は南大門。