大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年10月24日 | 写詩・写歌・写俳

<52> 山中池頭の朝
              日の光 秋の深みへ 誘はる
  写真が一つに光をとらえる作業であることは、 多少写真をやっている者にはわかる。 写真展なんかの作品を見ていても、印象的で素晴らしいと思える写真は大概が光をうまくとらえている。
  もちろん、写真は時を切り取る作業でもあり、 決定的瞬間のシャッターチャンスを大切にし、 絵画と同じく構図も考慮に入れなくてはならず、 カラー写真の場合は色彩についても配慮が必要で、 これらの総体で写真は出来るわけであるが、 どちらにしても、光をとらえることが大切なことに変わりはない。
  よく写真では順光とか逆光とか半逆光とかという言葉を用いるが、これは光をとらえる方法を言うもので、写真には極めて重要なことである。 風景写真のように自然が被写体である場合、 撮影者は光を自由にコントロール出来ないので、 自然の成り行きに合わせなくてはならない。 このため、いい光を得る時間帯を心得ておく必要がある。
  写真展の作品をよく見ていると、 風景にとって朝夕の太陽が高い位置にない光線を 利用して撮影しているものの多いことに気づく。そして、 順光(太陽を背にして撮る場合)よりもむしろ逆光(太陽の方角に向かってカメラを構えて撮る場合)乃至は半逆光くらいで撮る方が写真にメリハリがついてよい場合が多い。
  そこで、当然のこと、撮影に時間的な制約が生じるわけで、写真をやる者は 往々にして朝早くに現場に赴かなくてはならず、真夜中 に起き出してその撮影場所に出かけることになる。 私のように野生の花を中心に撮影しているものは、朝があまり早いと花が開いていない場合があるので、また、違った苦労があり、一概には言えないが、 自然の風景写真を撮影する者にはこの時間の条件は 欠くことの出来ない重要性をもっている。

                     

 今回 ここに扱った写真は 吉野の山中で 撮ったものであるが、まだ、夜の明け切らない時間帯に 出かけ、太陽が揚がって来た瞬間に撮った結果の写真である。  冷ゆる朝 秋深まりて ゆく気配