大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年10月29日 | 写詩・写歌・写俳

<57> ク  リ
        栗おこは いただき 山里味はへり
  クリの季節である。秋にクリは欠かせない。クリは、つまり、そういう情趣を持った果実である。クリと言えば、何と言っても私には斎藤信夫作詞、海沼実作曲の童謡 「里の秋」 が思い出され、山里がイメージされる。クリの登場する印象的な一番と二番の歌詞をあげてみる。
         (一)
     静かな 静かな 里の秋
   お背戸に木の実の落ちる夜は
   ああ 母さんとただ二人
   栗の実 煮てます いろりばた
        (二)
   明るい 明るい 星の空
   鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
   ああ 父さんのあの笑顔
   栗の実 食べては 思い出す
  これは昭和十六年(一九四一年)に世に出た南方の戦地に赴いている父を思う女の子の心情を歌った歌で、日本の原風景である山里の深まる秋の情景がまことによく表わされている。
  クリはブナ科の落葉高木で、我が国には昔から自生し、各地に見られ、縄文時代の遺跡からはクリの柱が特徴的に見られ、青森市の三内丸山遺跡の直径一メートルに及ぶ巨木柱の痕跡は有名で、当時クリの木が多く生えていたことを物語る。
  果実はイガの中に三個入っているのが普通で、昔は三つ栗と呼ばれ、我が国で文献に登場するのは『古事記』が初めてで、『万葉集』にも山上憶良が「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲ばゆ」と詠み、クリが昔から重要な食糧だったことが示されている。
  大和は山国でクリは各地に植えられているが、自生するものも昔から多く、宇陀市などに栗林が広い範囲に見られた。ところが、昭和三十年代のころから国の指導によって全国的に実施されたスギ、ヒノキの植林事業のため、クリ林は姿を消していったと言われる。
  いつの時代にもついて回り、言えることであるが、一辺倒というのは決してよい結果を生まない。今思えば、クリ林の半分でも残していればと私などは思うのであるが、どうであろうか。クリは毎秋私たちに果実の恵みを与えてくれる。

                                            
   近所の親しい家からクリおこわを頂いたことで、クリが思い出され、クリをとり上げることにしたが、写真に撮るのをうっかり忘れてしまい、おこわの写真はない。おいしく頂いた後に気づいたのであったが、後の祭りで、写真は九月に撮った青いイガの実をつけた木と六月に撮影した尾状の花ということになった。ともに植えられたものである。

                                           


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