大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年08月19日 | 植物

<1080> 法隆寺のクスノキの古木に思う

         楠は枝折れたれどなほ勁く根を張る 御身も強くあるべし

 法隆寺聖霊殿前の鏡池の近く、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑が立っているところから十数メートルほど南の道の脇に一本のクスノキの古木がある。根元の幹周りは七メートルほど、高さは十メートル前後か、根元の付近で幹に空洞化が見られ、枝のバランスがよくないため、木組みの支えが施され痛々しく見える。だが、根の張りがしかりし、なお、花も咲かせ、力強く、いかにも風雪に耐えて来たという風格がある。

 間道であるこの道は、参拝する人や観光客はほとんど通ることがなく、ひっそりしているが、中にはこの道を辿って広い石畳の参道に出る人もいる。この道を歩くと、このクスノキの古木に目が向き、その姿に感銘を受ける。近づいてしっかりと大地をつかんでいる根に触れ、「すごいなー」と声をかけてみたり、中にはこのクスノキと一緒に記念写真に納まる人も見受けられる。

 もし、このクスノキが里中にあるならば、注連縄などもして崇められるに違いないが、歴史のある法隆寺では評価の対象にはされないようで、お寺の境内でもあり、注連縄などは見られない。しかし、この古木を目の当たりにする人は心を動かされる。私は、定年後、絵を趣味にしていた仕事の大先輩を法隆寺に案内したことがある。そのとき、大先輩は法隆寺の建造物や仏像よりもこのクスノキの古木に心を惹かれたのを覚えている。

  今は亡き人であるが、当時は八十歳代後半で、肺癌を宣告されていると本人から聞いていた。幹に空洞があるものの大地をつかんで踏ん張っているこのクスノキの古木に、癌に冒されながらも頑張っている自分の身に重ねたのではなかったろうか。帰ったら絵にしたいと言っていた。

    

 ところで、このクスノキは無名で、あまり知られている風がなく、淋しいような感じもある。根元の幹周りが七メートルほどもあるならば、樹齢も相当なもので、古木と言ってよく、巨樹とも言えるだろうと思われる。で、グリーンあすなら編の『奈良の巨樹たち』を見てみたが、このクスノキは採り上げられていなかった。

  地上から一.三メートルの幹周りが三メートルという巨樹選定基準のほか、樹齢がいっていること、地域の人々の生活との関わりが深いこと、歴史的価値があること、学術上貴重な植物であること、市町村で代表的な巨樹であることなどの条件によって選定されていることから、この基準に当てはまらないと見なされたか、幹の空洞化が進んでいることが選ばれなかった一因かも知れない。

 『奈良の巨樹たち』に採り上げられているクスノキは、奈良豆比古神社、春日若宮神社、飛火野(いずれも奈良市)、大職冠(大和郡山)、山口座神社(桜井市)、龍田神社(生駒郡斑鳩町)、薬王寺(磯城郡田原本町)の七本で、樹高では三十メートルに達する奈良豆比古神社、山口座神社、薬王寺のクスノキが一番で、幹周りでは春日若宮神社の十一.二メートルが一番太く、樹齢ではこの春日若宮神社の古木が推定千七百年で、一番古いと見なされている。樹齢は樹高に関係なく、幹周りから推定されているのがわかる。

 これら七本のクスノキを見ると、法隆寺の古木に似るのは、春日若宮神社のクスノキで、樹高は僅か八メートルである。法隆寺の古木も等しく、同じ斑鳩町の龍田神社のクスノキ(樹高二十八メートル)より遥かに及ばないけれども、幹周りから察するに、樹齢は法隆寺の方がいっていると言ってよかろうかと思われる。どちらにしても、このクスノキの古木は見る人の心を動かすところがある。 写真は法隆寺のクスノキの古木。