大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年08月09日 | 写詩・写歌・写俳

<1070> 長崎の原爆の日に寄せて

         戦争とは殺し殺される狂気の状況だ

       それも 多数による集団的狂気の状況だ

       狂気とは果していかなるを指して言うものか

           それは 常軌を逸した異常な精神を言うものにほかならない

           このような狂気の精神状況に至ればどういうことになるか

           それは 無抵抗な市民も 弱い立場の婦女子も 関係なく

      みな すべてのものを悲惨に巻き込んで行く

           挙句の果ては 大虐殺のようなことも起きる

           何万人、何十万人もの命を一度に奪う核兵器だって使う

           人権を無視した従軍慰安婦のような問題だって起きることになる

           戦場と化したところでは子供たちの泣き叫ぶ声が聞こえ

           今も 戦場と化したところでは泣き叫んでいる子供たちがいる

           けれども この狂気は尽きず 戦争は世界のどこかで起きている

           この狂気は いつだって正当化され 美化され

      勇猛を煽って 戦争に向かわせるから始末が悪い

           私たちはこの狂気に陥らないように 一人一人が精神を鍛え

           叡智を出し合って 臨まなくてはならない

          そして 平和を願う声を世界の隅々にまで広め

      この狂気を生み出す輩の動向に対して行かなければならない

                                                      

 六日の広島に続いて、九日は長崎の原爆の日で、長崎市の平和公園では長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行なわれた。田上長崎市長は、挨拶の声明の中で、安倍政権が推し進めている集団的自衛権行使容認の閣議決定に触れ、これまで自分たち市民が呼びかけ、築いて来た平和をゆるがせる懸念と不安を訴えた。この発言は戦争の最も悲惨な被害市として当然の発言で、被爆者代表の声とともに訴える力があった。平和に向かって私たちはひるむことなく発言して行かなくてはならない。広島のときは、虚しいと言ったが、こうした平和の集いに集まることを持続する人々のいる限り、平和への希望はいつまでも点し得られる。

  集団的自衛権の行使容認の決定は戦争の出来る国にし、戦地に国民を送り出すということである。七万人を越す人の命を一瞬にして奪った一発の核兵器。この核兵器が世界には一万六千個保有されているという。核兵器には戦争抑止の理屈もあるが、存在するものは使う可能性がある。 このことは理屈でなく、確率として言えることで、皆無であれば、使いようがないわけであるから、被爆体験市の広島にしても長崎にしても、核兵器の全廃を訴えているわけである。ましてや、人を殺すことを何の躊躇もなく、正当化し実行する集団的狂気を思い起こせばわかることである。核兵器は全廃すべきであると思う。持ち続けることは、また狂気がつのれば使うことになるからである。  写真は長崎の式典会場(NHKテレビによる)。