大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年08月18日 | 万葉の花

<1079> 万葉の花 (135) かへ (柏) = カヤ (榧)

       競ひつつ 榧の実拾ひし 少年期

  霍公鳥 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の 香ぐはしき 親の御言 朝暮に 聞かぬ日まねく 天離る 夷(ひな)にし居れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を 外のみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉の海人の 潜(かづ)き取るとふ 眞珠(しらたま)の 見が欲し御面(みおもて) 直(ただ)向ひ 見む時までは 松柏(まつかへ)の 栄えいまさね 尊き吾が君          巻十九 (4169) 大伴家持

 集中にかへの見える歌はこの長歌一首のみである。原文に見える「松柏」は「まつかへ」と訓み、末代まで栄える意によって、次の「栄えいまさね」に続く。柏は普通ヒノキ、サワラ、コノテガシワなどヒノキ類の総称、または、ブナ科の落葉高木の名でも知られ、紛らわしいが、イチイ科の常緑高木のカヤ(榧)にも当てられている。

  これについては、『本草和名』に「榧の実 和名 加位乃美」とあり、『倭名類聚鈔』に「柏実 名 榧実 加位」とあることから、昔はカヤを「かへ」と呼んでいた様子がうかがえる。で、この歌で用いられている松柏はマツ(松)、カヤ(榧)ということになる。マツもカヤも、ともに長命を誇る常緑樹である。

               

  カヤは前述したようにイチイ科イチイ属の常緑高木で、成長は遅いが、寿命は長く、大きいものでは高さが二十五メートル、幹の太さが直径二メートルに及ぶ巨樹になる。『大言海』には「古言、かへノ転。古名かへ。喬木ノ名、深山ニ多シ。葉ハもみニ似テ厚ク、端、尖リテ、刺アリ、深緑ニシテ、冬ヲ歷テ凋マズ、雄ハ、枝立チテ、初夏ニ花アリ、實ナシ。雌ハ、横ニ茂リ、下ニ垂レテ、花無ク、實アリ、實の長サ、一寸許、棗ノ如シ、皮、緑ニシテ、肉ニ油多シ、内ニ核アリ、淡褐色ニシテ、厚ク長ク、両頭尖ル、中ニ白キ仁アリ、食用トス、油ヲモ取ル、かやのあぶらト云フ。材堅ク、碁盤ナドニ作ル」とある。

  宮城県以西、四国、九州に自生分布するが、里にも植えられたものが多く、見られる。『大言海』が説くごとく雌雄別株で、里に植えられているものは雌株が多いようであるが、ときに同株のものも見られるという。この歌にもうかがえるように、長命の縁起によって根元に祠をともなうような神々しい雰囲気の古木も見られる。我が郷里にも一本のカヤの巨樹が里の象徴のように聳え立っている。

  では、4169番の長歌を見てみよう。題詞に「家婦が京に存(いま)す尊母に贈らむが為に、誂へらえて作る歌一首」とあることから、家婦、つまり、家持の妻坂上大嬢が、都の実母大伴坂上郎女に贈る歌を家持に頼んで作ってもらった歌で、家持が越の国守であったときの代作歌ということになる。なお、大伴坂上郎女は家持の父旅人の異母妹で、家持には叔母に当たり、母亡き後、刀自として大伴家に入り、家持の育ての親になったことで家持には非常に濃密な関係にあった。

 歌の意は「ほととぎすが来て鳴く五月に咲く花橘のように、匂やかな母上様のお言葉を朝夕に聞かれぬ日が積もり積もる遠い田舎に離れていますので、山の峠付近に立つ雲を遠くから見やるばかりで、嘆く心は休まらず、思う心の苦しいものを、奈呉の海人が潜って取るという真珠のように、見たいと思う母上様のお顔を拝見するそのときまで、どうか松や柏のように、お変わりなく、栄えておいでください。尊い母上様」というほどの意になる。つまり、「かへ」のカヤ(榧)は実用の木としてではなく、変わることのない長寿の木としての縁起によって登場していることがうかがえる。 写真はカヤの木とカヤの実。