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Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

読書量

2018年02月12日 | Weblog
三十代、四十代に比べて、
五十代は読書量がかなり減っている気がします。

今思えば、
忙しいと言いながら、
若い頃には時間に余裕があったのです。

今、アウトプットする機会が多くなってきて、
その準備に追われていることが、
読書量が減った原因のひとつだと思います。

しかし、

新たな刺激と知見を得て、
更に自分を進化させるために、
読書は不可欠です。

何とか時間を確保していきたいと思います。





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素敵な人

2018年02月12日 | Weblog
人の苦労や痛みがわかる人は、
とても素敵だと思います。

相手の立場に立って、
そっと寄り添える人、

決して逃げることなく、
最後まで共に戦える人。

自分のことは棚に上げて、
人をあげつらう人の多いこの時代に、

信じられる人がいるということは、
有り難いことです。



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宥坐の器

2018年02月12日 | Weblog
佐賀の多久聖廟内の東原庠舎の入り口に、
宥坐の器が置かれています。

「宥坐」とは、身近や身の回りという意味です。

中国古代の話しですが、
桓公の墓にあった器は、

「水が入っていない空の時は傾き、
水を適度に入れるとまっすぐに立ち、
水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」

というものでした。

これを見た孔子は

「知を持つものは愚を自覚し、
功績を持つものは謙譲の心をもち、
力を持つものは恐れを忘れず、
富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」

と説いた故事があります。

足りなくては危うく安定せずバランスを保てないし、
過剰であればまたバランスを失い、傾いて、
全ての中身が失われるのです。

中庸の大切さと言うことにも通ずるのだと思います。

努力せず、自分は所詮その程度と思うのも
よろしくないし、

成果を収めても慢心し、おごり高ぶれば、
積み上げてきたもの全てを失うのです。

宥坐の器に水を入れながら、
様々なことを考えさせられたことを
ふと思い出しました。




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歪んだ言語空間

2018年02月11日 | Weblog
久しぶりに教研集会の記事を読みました。

私は公立学校教育の世界とは、
きっぱり縁がなくなっていますから、

相変わらずの、
何とも言えない、
公立学校教員の言語空間の
歪みを久しぶりに感じました。

実社会の常識に比べ、
教育界の言語空間は、
大きく歪んでいると思います。

人権・平和・権利・その他、
明らかに言葉の定義や、
背景にある思想が違っています。

思想的背景の違いによる
歪んだ言語空間では、
こちらも強烈な物言いにならざるを
得ないところがあります。

だから、過去の私の言論には、
過激なところもあります。

しかしそれは、
言語空間の異なる、
違う土俵に立っていたからです。


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わからないことだらけ

2018年02月10日 | Weblog
世の中はわからないことだらけです。

地球は温暖化しているのか。
そうでないのか。

ツバルは海に沈もうとしているのか。
土地が拡大しているのか。

疑義を呈すると、
信じている人は、
感情的に怒り始めます。

しかし、
私にはわからないのです。

様々な学説があり、
様々な言説が流布されているけれども、

事実は何なのか。
その説に反する確からしい情報を
いくつも耳にするからです。

しかし、いずれにせよ、
人は、自分の信じたいことを、
事実だと思いたいようです。

論理として正しいこと
事実として正しいことと、

感情的に信じることは、
別のことだとつくづく思います。

しかし、

真実が明確になることが幸せかというと、
これもよくわからぬことだと思います。

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期待と感情

2018年02月10日 | Weblog
他人に期待をすると、
その期待に答えてくれないと腹が立つのが、
人の心です。

一方、

他人に期待しなければ、
腹も立ちません。

しかし、

その人の成長に期待するのが、
教育者としては大切なことだと思います。

かくして、

他人に期待しつつ(成長を信じ祈念しつつ)、
他人に期待しない(期待通りでなくとも腹を立てない)
という心の持ち方が大切になります。

他人に勝手に期待して、
勝手に腹を立てるというのは、
私心から生じているものです。

他人に期待して、
成長を願い続けるというのは、
公心から生じているものです。

私心を去ると同時に、
感情の主人公は自分ですから、
心を楽しく明るく保ち続けるのは、
やはり自分の責任なのです。



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虚心に

2018年02月09日 | Weblog
いま、
大きな流れが
生まれていることを感じます。

こんな時期だからこそ、

謙虚に、
虚心に、、
教育に立ち向かっていこうと思います。

それだけです。


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良き友人に

2018年02月08日 | Weblog
人生を賭けて伝えたいことは
確かにあります。

しかし、
いつも無我夢中で
やっているだけのように思います。

人がそれをどう思って下さるかは、
私の知るところではありません。

私は、
自分という存在に、
あまり自信はありませんから、

とにかく共に学ぼうと思うだけです。

人様に迷惑をかけぬように、
いつもオープンマインドでいるように、
自分に厳しく人に優しくできるように、
そうした心懸けを忘れぬようにと思ってはいます。

人生の成果は、
生を終えてみないと
わからないものです。

ということは、

人は人生の成果なり、
その評価なりについては、
自分で見ることは永遠にできないのです。

だからこそ、
それを時折話して下さる古き良き友人は、
とても大切な存在なのだと思いました。






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教材研究

2018年02月07日 | Weblog
教師にとって、
教材研究が大事だというが、

どれほどのレベルで準備するかは、
個々の教師に委ねられている。

こだわりのレベルは、
はたまた、
妥協のレベルは、
千差万別である。

どれほど尋常ならざる迫力で、
準備が出来るか。

そして、それをやり続けられるか。

それは、修業でもあり、
習慣という宝物を獲得する過程でもある。

かくして、
その心構えの違いは、

十年、二十年の後には、
大きな差となっていく。

それは能力の差では決してない。


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自分を嗤う

2018年02月07日 | Weblog
深夜まで、
ドタバタと仕事をする日々が続きます。

大きなプレッシャーと闘いながら、
あまりお金には、
いやほとんどお金にはならないことに
全身全霊を込めて立ち向かっていく。

経営者的に合理的に考えれば、
愚の骨頂のような生き方です。

しかし、それもまた良しと、
私は気に入っています。

大変な目に遭っている自分を
客観的に横目で見ながら嗤う、
タフなメンタルがあってよかったと思います。



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