佐賀の多久聖廟内の東原庠舎の入り口に、
宥坐の器が置かれています。
「宥坐」とは、身近や身の回りという意味です。
中国古代の話しですが、
桓公の墓にあった器は、
「水が入っていない空の時は傾き、
水を適度に入れるとまっすぐに立ち、
水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」
というものでした。
これを見た孔子は
「知を持つものは愚を自覚し、
功績を持つものは謙譲の心をもち、
力を持つものは恐れを忘れず、
富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」
と説いた故事があります。
足りなくては危うく安定せずバランスを保てないし、
過剰であればまたバランスを失い、傾いて、
全ての中身が失われるのです。
中庸の大切さと言うことにも通ずるのだと思います。
努力せず、自分は所詮その程度と思うのも
よろしくないし、
成果を収めても慢心し、おごり高ぶれば、
積み上げてきたもの全てを失うのです。
宥坐の器に水を入れながら、
様々なことを考えさせられたことを
ふと思い出しました。
宥坐の器が置かれています。
「宥坐」とは、身近や身の回りという意味です。
中国古代の話しですが、
桓公の墓にあった器は、
「水が入っていない空の時は傾き、
水を適度に入れるとまっすぐに立ち、
水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」
というものでした。
これを見た孔子は
「知を持つものは愚を自覚し、
功績を持つものは謙譲の心をもち、
力を持つものは恐れを忘れず、
富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」
と説いた故事があります。
足りなくては危うく安定せずバランスを保てないし、
過剰であればまたバランスを失い、傾いて、
全ての中身が失われるのです。
中庸の大切さと言うことにも通ずるのだと思います。
努力せず、自分は所詮その程度と思うのも
よろしくないし、
成果を収めても慢心し、おごり高ぶれば、
積み上げてきたもの全てを失うのです。
宥坐の器に水を入れながら、
様々なことを考えさせられたことを
ふと思い出しました。