Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

余裕を持つ

2018年02月17日 | Weblog
みんなが、
自分の仕事や人生に精一杯で、
他人のことなど顧みる
余裕はないのだろうと思います。

だから、人のミスには、
なかなか寛容になれないものです。

人様の迷惑になるし、
人様の面子を潰すことになるからです。

私も寛容にはなかなかなれません。

ただし、
自分がきちんと出来ているかは怪しいものです。

だから、
人様になかなか嫌事は言いたくないものです。

しかし、
それでも言わなければ、

様々な所に影響が出てしまい、
多くの混乱が生じ、
沢山の人に迷惑をかけることになってしまいます。

教育は、心に余裕がなければ
できないものなのかもしれません。

それは多くの忍耐を要求されるからです。





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信用と信頼と

2018年02月17日 | Weblog
信用と信頼ってどう違うのですか?
と尋ねて頂きましたので、考えてみました。

まず、辞書を調べてみると、

<信用>とは。

1.確かなものと信じて受け入れること。
 「相手の言葉を信用する」

2.それまでの行為・業績などから、
  信頼できると判断すること。
  また、世間が与える、そのような評価。
  「信用を得る」「信用を失う」信用の置けない人物」
 「店の信用に傷がつく」

<信頼>とは。

1.信じて頼りにすること。
  頼りになると信じること。また、その気持ち。
  「信頼できる人物」「両親の信頼にこたえる」
  「医学を信頼する」

つまり、

信用は過去の実績に基づく判断であり、
信頼は未来を共に出来ると信じる感覚なのでしょう。

「用いる」ことと「頼む」ことの違いを考えてみると、
「信じて用いる」というのは、人の判断であり、
「信じて頼むと」いうのは、神頼みというか、
未来を信じて託す祈りのような心も含むのかもしれません。

過去に沢山の悪事を働いた人は、
信用を失った人たちです。

信用を失い、
「あいつはアテにならない」と
未来への信頼も失ったのです。

しかし、それでもなお、
その人の未来を信頼してあげることはできます。

つまり、

もはや「あなたを信用してるよ」とは言えないけれど、
「それでもあなたを信頼してるからね」とは言えるわけです。

信頼は、未来への期待を含む言葉なのでしょう。

人は、過去に信用を積み重ねてきたことで、
未来に亘って、
人様に信頼して頂くことのできる人になるのです。

ただし、

信用は過去への評価であるけれども、
信頼は未来への評価であり、
信頼するかどうかは、
自分の判断に委ねられているものだと思います。

そんなことを色々と考えさせて頂きました。





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大切な資産

2018年02月17日 | Weblog
信頼ほど大切な資産はない。

そして、

嘘・誤魔化しをすることで

信頼を保つ努力をすることほど

愚かなことはない。

それは、

自分以外の人間から見れば、

明らかに信頼を失う努力でしか

あり得ないからだ。



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