Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

不治の病

2018年02月26日 | Weblog
昔は結核が不治の病でした。
その次は、ガンが不治の病でした。
更にその次は、エイズやエボラが不治の病でした。

しかし、そのいずれをも、
人間は克服しつつあります。

凄いことですし、素晴らしいことです。

ただ、その代わりに私たちは、、
なかなか死ねないで、
生きながらえることが、
苦しみになるのかもしれません。

生きたくて死を迎えなければならないのも、
不条理ではありますが、

死にたくて生きながらえなければならないのも、
また、不条理であるのかもしれません。

だから、
生を燃焼し尽くせるような、
生き方を模索したいと思います。





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品位

2018年02月26日 | Weblog
「品位」というものの大切さを感じています。

辞書を引いてみると、

「人や事物にそなわっている気高さや上品さ。品格。」とあります。

「気高い」の意味を調べてみると、

「どことなく、おかしがたい気品を備えている。
 品格が高い。崇高だ。」とあります。

してみると、
おかしがたいということは、
揺るがぬ自分を持っているということでしょうし、

その揺るがぬ自分の核心は、
自分のためではなく、
人々のためであり、
社会のためであるということでしょう。

自分のためという心が見え隠れするところに、
人は卑しさを感じます。

失ってなお凜としていられる強さと優しさが、
気品を醸し出すのだろうと思います。

気品と遠いような表現を
敢えて使って言えば、

饅頭を二人で分けようと、
二つに割ったときに、

一瞬の迷いもなく、
相手に大きい方を渡す心、

しかもそれを
喜んで渡すことができる
心を持つということだろうと思います。

自分は・・・だから、
自分は・・・しているから、

そんな言い訳もやはり、
自分優先の卑しさが見え隠れします。

私もまだまだ心を磨いていかなければなりません。
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見果てぬ夢

2018年02月26日 | Weblog
教師の育成という夢に向かっての試みは、
かつて思わぬ形でその道を断たれました。

しかし、それで良かったのです。
そう確信を持って今は言うことが出来ます。

この14年間ほどの間に、
共に学んでくれた子供たちが、
何人も海外に羽ばたいていき、

私の伝えたことと、
海外の教育とを実際に体験し、
較べながら学んでくれています。

その若者たちが、、
いつか日本の教育を変える
大きな原動力となるであろう手応えを、
私はしっかりと感じ取っています。

私よりも、
もっと広く、もっと深い視点で、
改革を進めてくれる日は必ず来ます。

私の役割は、
そうした若者たちの
土台作りなのだと思います。

そういう意味で、
私の見果てぬ夢は、
まだまだ続いているのです。



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