Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

木を植える教育

2021年09月27日 | Weblog

かつて、公教育について考えていたとき、

公教育は、いわば、「ここに木を植えて良い。

しかし、特定の木を植えてはいけない。」

そう言っているようなものだと思っていました。

例えば、あまり特定の人物の考えを教えるのは

いかがなものかという意味です。

しかし、「木」という「木」はないのです。

それぞれが、「杉」であり「松」であり、

「梅」てあり「桜」なのです。

抽象概念である「木」を教える教育というのは、

結局、実態のない、空疎な概念を、

言葉遊びのようにして教えているだけに過ぎません。

それでは、時代の変革者たちの強烈な生き様や、

苦しい時代を乗り越えていく人間の崇高さなど、

伝わろうはずがありません。

右でも左でも中道でも、とにかく、

人の生き様を学ぶべきだというのが私の考えです。

立場を超えて、歴史という風雪に耐えて残っている

人の生き様には、

必ず学ぶべき事がたくさん含まれているからです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育改革に思う

2021年09月27日 | Weblog

学べば学ぶほど、考えれば考えるほど、

教育の本質に迫っていくことができていると

感じることもあります。

しかし、教育界の多くの人とは、

違う視点になってしまい、

言葉がかみ合わなくなっていくことも感じます。

若い頃は、そのことに、怒りを感じたり、

虚しさを感じたりしていました。

今は、笑って、さらなる前進をしていこう

と思えるようになりました。

私は私、他人は他人。

それは仕方が無いことなのです。

それでも教育をよりよいものにしていく努力は、

どこまでも続けていこうと思います。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷惑メール

2021年09月27日 | Weblog

馬鹿馬鹿しい詐欺メール、迷惑メールが、

たまに届くことがあります。

アホくさっ!と思って、即座に削除しますが、

ふと、これだけ送っているということは、

下手な鉄砲数うちゃ当たるで、

騙されてしまう人もいるのではないかと思いました。

哀しいことに、世の中には、

リテラシーが高くない人もいます。

リテラシーとは「物事を正確に理解し、活用できること」を表す語。リテラシーの語源は英語のliteracyからきており、本来は「読み書きができる能力や知識」を指す言葉である。(新時事用語辞典)

そうした人たちを守ってあげたいと思います。

しかし、私にできることは、教育を通して、

literacyの力を高めることぐらいしかありません。

人を騙そうとしたり、陥れようとする、悪人たちが

いなくならないのも世の中の現実です。

しかし、それを守ろうという意志を持つ人たちが

いなくならないのも世の中の現実です。

少しでも世の中に良き価値を遺していこうと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする