Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

為さざるなり

2021年09月19日 | Weblog

ふと気がついたら、

できなかったことが、

できるようになっていることがあります。

その時に思うことは、

「あぁ、今までは、真剣にやろうとしてなかったのだな。」

ということです。

できないと思っていたけれど、

それは、自分が本気でやろうとしていなかったから、

できなかっただけなのだと気づくのです。

私は整理整頓が苦手です。

いや、正確に言えばそうでもありません。

例えば、膨大な種類と量の資料をかき集めて、

講座の内容を考えたり、

原稿を書いたりしているときには、

整理整頓の脳が働かない気がするのです。

だからすべて一段落して、

整理整頓に集中すると、

一気に整理整頓が進んでいくことになります。

脳が違う方向に集中しているときにやろうと思っても、

どうしてもうまくいかない感じになるのです。

そこで、苦手なのだという意識が生まれます。

今、とあることの整理をしていて、

今までできなかったのに、

状況が変わり、必要に迫られると、

いつの間にかそれをやっている自分がいることに気がつきます。

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愛国心と総裁選

2021年09月19日 | Weblog

私利私欲ではなく、

人々のために政治は執り行われるべきものだと思います。

いや、政治のみならず、経済活動も、医療も、教育も、

私心を去り、多くの人々や次世代のために、

素晴らしい価値を生み出し、

手渡していくために存在するのだと思います。

結局、そうしたことは、愛国心という言葉に集約されます。

家族のために、周囲の人たちのために、と、

そして、その範囲を広げていけば、

当然、国家というものに行き着かざるを得ないのです。

勿論、それを更に拡大していけば、

世界という所に行き着くのは当然のことです。

しかし、愛国心といった瞬間に、右翼呼ばわりされ、

レッテルを貼られ、否定されるのは、

一体どうしたことでしょうか。

愛国心に否定的な言説を垂れ流している人たちの、

底意を見透かしておかなければならないと思います。

また、一見、愛国心を叫んでいるようで、

実は愛国心という言葉に拒否反応を持つように

意図的に言説を流布している人たちの底意も

見透かしておく必要があります。

愛する者たちを守るということは、

それを脅かす者たちとの戦いであることを、

私たちはいつも忘れてはならないのだと思います。

 

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書くことの意味

2021年09月19日 | Weblog

私は大学ノートに色々なことを書くようにしています。

そして、このブログにも書くようにしています。

自分自身の思考を深めていくために、

どちらも大切な作業です。

実に大したこともないささやかな人生ですが、

言葉を紡ぐことで、思考が整理され、

意志が鍛えられていくことを感じます。

特にこのブログは、色々な人の目に触れますから、

自分の考え方や心の持ち方が問われます。

勿論、人目を意識した偽りを書くつもりはありません。

むしろ、正直に書くが故に、人間の未熟さが、

そのまま表現されてしまう怖さをいつも感じています。

それでも書き続けようと思います。

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