Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

始末に困る人

2021年09月07日 | Weblog

私がなりたいのは、「始末に困る人」です。

自分のことはどうでも良いといつも思うこと。

そして、教育の事だけは、

微塵もどうでも良いとは思わぬ事。

そうなれるように心を磨きたいものです。

 

命もいらず、
名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、
始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、
艱難を共にして
国家の大業は成し得られぬなり。

          西郷隆盛

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コロナ収束?

2021年09月07日 | Weblog

麻生太郎大臣が「コロナが収束した」と発言したと話題になっています。確認してみましたが、やはり違いました。(今回は、なぜか麻生発言の映像もなかなか出回っていなくて検証に苦労しましたが。)

映像を見てみると、あくまでも、菅総理の総裁選不出馬の分析としてのコメントとして、次のように語っただけです。つまり、「コロナ対策に一定の成果を出し全うしたと、菅総理がお思いになって不出馬という判断をした」と語っているだけです。

麻生大臣「甚だ 自分(菅総理)としてはご不満な ところもあって、効果もなかなかというところもありましたけれど、曲がりなりに収束して、 国際社会の中での評価は極めて高いと 思いますので、そういった意味では、私は 、あの~、判断として、俺は全うしたという思いが おありになったことは確かだと思いますから、私はそこの部分が一番大きかったんじゃないかなと思っちゃいるんですけどね。」

というように語っています。「曲がりなりに収束して」というのは、G7の中での新規死亡者数が、0.12%と圧倒的に少ないことから見れば、国際社会の中では、そう捉えられるというのは当たり前だと思います。勿論、個別の感染者の問題は大変なことで有り、深刻な問題であることは当然ですが、そこを語っている文脈ではありません。(以下にデータを示しておきます。)

しかも、「効果もなかなかというところもありましたけれど」というくだりは、「効果もなかなか(思うようには)出なかった」という意味ですから、手放しで「収束した」という意味でないことは読み取れます。さらに「曲がりなりに収束して」とは、おおよその客観情勢を述べたものと読み取れます。

ちなみに、「曲がりなりにも」の意味は、「不完全ながら」「十分とまでは行かないが」「どうにかこうにか」という意味です。

また、インタビューのその前のところで、麻生大臣は、「昨日終わったオリンピック・パラリンピックの話にしても マスコミは総じて反対だったんじゃないかね~。国が全体としてオリンピック・パラリンピックをまとめるという雰囲気を著しく阻害したことは確かだよね~。そういった中で、きちんとまとめられたっていうのは、これ、いろんな意味で、経済、消費等々には効果があったと思っているんですけど・・・。」と話していますから、マスコミの意趣返しであることは想像に難くありません。

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思いやり

2021年09月07日 | Weblog

ある本を読んでいたら、

「思いやりとは想像力である」という言葉に出会いました。

そして、「想像力は本を読むことによって育まれる」と

その本には書いてありました。

その通りだと思います。

本を読んで様々な立場に立つ経験を繰り返すことで、

実際の世の中でも、相手の立場に立つことのできる、

思いやり深い人間性が身につくのだと思います。

 

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